The Raw Shark Texts, by Steven Hall
以前なにやらヘンテコそうということで取り上げた作品ですが、すごく評判になってるみたいですね。既に30カ国に売れたということですので、おそらく日本も入っているんでしょう。映画会社4社が争って、ニコール・キッドマンが直々に電話して交渉したそうですけど、主人公を女性に変えることに拘ったため、別の映画会社に決まったんだとか。31才の作者スティーヴン・ホールのデビュー作ということで、なんとも期待を持たせます。
が……。
いえ、面白いんですよ。ほんとに「マトリックス」と「ジョーズ」と「ダ・ヴィンチ・コード」と「メメント」と『紙葉の家』みたいな話で、作中でも作者が言及しているように、ポール・オースターや村上春樹やデイヴィッド・ミッチェルや山のように出てくるポスト・モダンの作家の影響があるんだろうな~という書き方ですし。決して評判倒れということもなく、誉めてる書評もかなりありますし、アマゾンの読者評とか見ると英米どちらも絶賛している人がかなりいるようですし。
問題は、これほど話題になっていなければ単に面白いと言い切って済ませられるんですが、それほど評価される作品かということになると、釘を刺したくなるところがたっぷり出てくるんですよね。特にこの Independent の書評にはカチンときました。
"This is a literary novel that's more out there than most science fiction."
"The Raw Shark Texts is, for once, a novel that genuinely isn't like anything you have ever read before, and could be as big an inspiration to the next generation of writers as Auster and Murakami have been to Hall."
一体この人普段何を読んでるんだろうと勘ぐりたくなりますが、『ダ・ヴィンチ・コード』の愛読者ならともかく、このマット・ソーンって人、ブッカー賞の候補にもなったことがある作家なんですね。こういう間の抜けた人に公の場で書評なんかさせちゃいけませんね~。これじゃまるで斬新で中身のある作品だと読者が誤解しちゃうじゃないですか。
実際はアイデアの組み合わせと展開がごくごく楽しいので、それだけで十分元は取れるんですが、文章が『ダ・ヴィンチ・コード』よりはちょっとましな程度のありきたりのもので、平板なキャラクタに結末も完全に読めちゃうクリシェなので、正直スリルにもドラマにも乏しいです。色々なアイデアやタイポグラフィーの遊びの部分も、楽しいだけでテーマには直結しない底の浅さが見え見えで、ちょっと知的興奮というのもはばかられますね。ということで小説の部分はごくごくデッドでフラットです。
軽いパズルを組み合わせたような構成といい、もったいぶって書かれている割にはおバカなコメディとして読めちゃうところといい、『ダ・ヴィンチ・コード』的ともいえますので、もしわたしが帯に推薦文を書くとしたらこんな感じでしょうか。
バカでも読めるエス・エフ・ライト(コオロギの合唱付き)
ううむ、だれも使ってくれそうにありませんね^^;
いやまあ、これだけではあまりにも無責任ですので、内容紹介しておきます。
自分が誰なのか、どこにいるのか、全く思い出せない主人公は、記憶を失う前の自分だと名乗るエリック・サンダースンの手紙を頼りに、心理学者を訪ねます。ことの真相は、2年前にギリシャのナクソス島で恋人のクリオを亡くしたことが心理的要因となり、エリックは11度にわたる記憶喪失を繰り返したというものでした。心理学者は、回復の妨げになるため、過去の自分の書いたものは何も読まないようにと釘を刺します。
しかしながら、エリックからの手紙は続き、主人公は記憶喪失の本当の原因を知ります。それは、純粋に概念上の存在である魚ルドヴィシアンが、主人公の記憶を食べてしまったというものでした。人間関係や因果関係の流れを住処とした海洋生物には色々なものがありますが、ルドヴィシアンは特に性質が悪く、一度襲った人間を自分の縄張りと見做し、記憶をすべて食い尽くすまでいつまでも付けねらいます。
そのとき、テレビのホワイトノイズに何かがボンヤリと浮かび上がってきます。じっと見ているとそれはこういう映像になり、突然巨大なものが飛び出してきました。思考のサメとの最初の遭遇でした。
エリックの手紙には、自分の思考を外に漏らさないための「サメ避けの檻」の設定方法が書かれていました。それは部屋の四隅に互いに関係のない話者のテープを再生したディクタフォンを置き、非分散型の概念ループを構成するというものでした。また、様々な思考の記述された本を自分の周りに積み上げることや(これうちでもやってます^^)、たくさんの手紙を持ち歩くことにも効果がありました。
また、エリックからは、電球と、その点滅を記録したビデオ・テープも送られてきます。サメに感知されないように、モールス信号と QWERTY キーボードのキー配列を組み合わせた暗号によるメッセージは、クリオとの思い出を綴ったものでした。
一方、ルドヴィシアンから隠れているだけでは限度があることから、思考のサメについての権威であるフィドラス博士を探し出し、助けを乞うことが急務でした。主人公は、イギリス各地の図書館を巡りながら、お目当ての書物に書き込まれた暗号を探し出し、非空間(Un-Space)のどこかに潜んで研究を続けているという博士の足取りを追います。非空間とは、廃道や空き家、下水道、壁の中の空洞など、使われていない空間の総称でした(一時流行ったトマソンみたいなもんですかね)。
その間にも危機に遭遇した主人公は、非空間について詳しいという少女スコットに助けられ、大量の本や電話帳のバリアにより防御された地下の迷宮へと降りていきます。スコットは、マイクロフト・ワード(Mycroft Ward)という、人々の意識をプロセッサとして増殖し続ける知生体に犯されていて(笑)、そこからの解放を模索していました。
ということで、クライマックスはもちろんサメ退治ですよ^^)
いやまあこの概念上のサメから派生するアイデアの数々には狂気、いえ凶器、じゃない、狂喜しちゃいますね。もうこのおバカなエスカレーションだけでも十分なんですが、所々にタイポグラフィーでの遊びが顔を出します。圧巻はやっぱり50ページほどを無駄に使ったタイポグラフィーのサメのパラパラ漫画でしょうか。
ただしまあ冒頭のディックふうのアムネジアな展開もいまひとつ不安定感が足りませんし、主人公のロマンスもチープですね。だから主人公がぜんぜん可哀想じゃないんですよね。サメの登場にもこれといったスリルはありませんし。今風の情報技術を取り入れてはいても、メインのアイデアの部分は、タイポグラフィーの遊びも含めて、アルフレッド・ベスターの『分解された男』と Golem 100 から借りてきたみたいな感じですし。ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』にも通じるところがありますが、あれほどプッツンじゃないですしね。ということで、マット・ソーンさん、このあたりはお読みじゃないんでしょうね。
作品の全体的な印象はジャスパー・フォードの『文学刑事サーズデイ・ネクスト』に近いものがあるんですが、メイン・プロットに一本筋が通っている代わりに、サーズデイ・ネクストの気紛れな面白さや、キャラクタの魅力がないですね。正直言って見劣りします。『不思議の国のアリス』もベースにはあるかと思いますが、これはわざわざ取り上げるほどでもないですかね。
ということで、アイデアの部分で楽しめれば十分という人には強くお薦めしますが、やっぱり中身がないとという人には、トム・マッカーシイの Remainder の方をお薦めしたいですね。読むのが面倒という人は映画を待つのが一番かも。活字のサメなんて、脳内映像だけでも楽しそう。う、あんまり考えると危険かも^^;
プロモーション用に色々なサイトが立ち上がってますので、興味のある方はどうぞ。
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