Wednesday, April 25, 2007

The Raw Shark Texts, by Steven Hall

The Raw Shark Texts (uk)以前なにやらヘンテコそうということで取り上げた作品ですが、すごく評判になってるみたいですね。既に30カ国に売れたということですので、おそらく日本も入っているんでしょう。映画会社4社が争って、ニコール・キッドマンが直々に電話して交渉したそうですけど、主人公を女性に変えることに拘ったため、別の映画会社に決まったんだとか。31才の作者スティーヴン・ホールのデビュー作ということで、なんとも期待を持たせます。

が……。

いえ、面白いんですよ。ほんとに「マトリックス」と「ジョーズ」と「ダ・ヴィンチ・コード」と「メメント」と『紙葉の家』みたいな話で、作中でも作者が言及しているように、ポール・オースターや村上春樹やデイヴィッド・ミッチェルや山のように出てくるポスト・モダンの作家の影響があるんだろうな~という書き方ですし。決して評判倒れということもなく、誉めてる書評もかなりありますし、アマゾンの読者評とか見ると英米どちらも絶賛している人がかなりいるようですし。

問題は、これほど話題になっていなければ単に面白いと言い切って済ませられるんですが、それほど評価される作品かということになると、釘を刺したくなるところがたっぷり出てくるんですよね。特にこの Independent の書評にはカチンときました。

"This is a literary novel that's more out there than most science fiction."

"The Raw Shark Texts is, for once, a novel that genuinely isn't like anything you have ever read before, and could be as big an inspiration to the next generation of writers as Auster and Murakami have been to Hall."

一体この人普段何を読んでるんだろうと勘ぐりたくなりますが、『ダ・ヴィンチ・コード』の愛読者ならともかく、このマット・ソーンって人、ブッカー賞の候補にもなったことがある作家なんですね。こういう間の抜けた人に公の場で書評なんかさせちゃいけませんね~。これじゃまるで斬新で中身のある作品だと読者が誤解しちゃうじゃないですか。

実際はアイデアの組み合わせと展開がごくごく楽しいので、それだけで十分元は取れるんですが、文章が『ダ・ヴィンチ・コード』よりはちょっとましな程度のありきたりのもので、平板なキャラクタに結末も完全に読めちゃうクリシェなので、正直スリルにもドラマにも乏しいです。色々なアイデアやタイポグラフィーの遊びの部分も、楽しいだけでテーマには直結しない底の浅さが見え見えで、ちょっと知的興奮というのもはばかられますね。ということで小説の部分はごくごくデッドでフラットです。

軽いパズルを組み合わせたような構成といい、もったいぶって書かれている割にはおバカなコメディとして読めちゃうところといい、『ダ・ヴィンチ・コード』的ともいえますので、もしわたしが帯に推薦文を書くとしたらこんな感じでしょうか。

バカでも読めるエス・エフ・ライト(コオロギの合唱付き)

ううむ、だれも使ってくれそうにありませんね^^;

いやまあ、これだけではあまりにも無責任ですので、内容紹介しておきます。

The Raw Shark Texts (us)自分が誰なのか、どこにいるのか、全く思い出せない主人公は、記憶を失う前の自分だと名乗るエリック・サンダースンの手紙を頼りに、心理学者を訪ねます。ことの真相は、2年前にギリシャのナクソス島で恋人のクリオを亡くしたことが心理的要因となり、エリックは11度にわたる記憶喪失を繰り返したというものでした。心理学者は、回復の妨げになるため、過去の自分の書いたものは何も読まないようにと釘を刺します。

しかしながら、エリックからの手紙は続き、主人公は記憶喪失の本当の原因を知ります。それは、純粋に概念上の存在である魚ルドヴィシアンが、主人公の記憶を食べてしまったというものでした。人間関係や因果関係の流れを住処とした海洋生物には色々なものがありますが、ルドヴィシアンは特に性質が悪く、一度襲った人間を自分の縄張りと見做し、記憶をすべて食い尽くすまでいつまでも付けねらいます。

そのとき、テレビのホワイトノイズに何かがボンヤリと浮かび上がってきます。じっと見ているとそれはこういう映像になり、突然巨大なものが飛び出してきました。思考のサメとの最初の遭遇でした。

エリックの手紙には、自分の思考を外に漏らさないための「サメ避けの檻」の設定方法が書かれていました。それは部屋の四隅に互いに関係のない話者のテープを再生したディクタフォンを置き、非分散型の概念ループを構成するというものでした。また、様々な思考の記述された本を自分の周りに積み上げることや(これうちでもやってます^^)、たくさんの手紙を持ち歩くことにも効果がありました。

また、エリックからは、電球と、その点滅を記録したビデオ・テープも送られてきます。サメに感知されないように、モールス信号と QWERTY キーボードのキー配列を組み合わせた暗号によるメッセージは、クリオとの思い出を綴ったものでした。

一方、ルドヴィシアンから隠れているだけでは限度があることから、思考のサメについての権威であるフィドラス博士を探し出し、助けを乞うことが急務でした。主人公は、イギリス各地の図書館を巡りながら、お目当ての書物に書き込まれた暗号を探し出し、非空間(Un-Space)のどこかに潜んで研究を続けているという博士の足取りを追います。非空間とは、廃道や空き家、下水道、壁の中の空洞など、使われていない空間の総称でした(一時流行ったトマソンみたいなもんですかね)。

その間にも危機に遭遇した主人公は、非空間について詳しいという少女スコットに助けられ、大量の本や電話帳のバリアにより防御された地下の迷宮へと降りていきます。スコットは、マイクロフト・ワード(Mycroft Ward)という、人々の意識をプロセッサとして増殖し続ける知生体に犯されていて(笑)、そこからの解放を模索していました。

ということで、クライマックスはもちろんサメ退治ですよ^^)

いやまあこの概念上のサメから派生するアイデアの数々には狂気、いえ凶器、じゃない、狂喜しちゃいますね。もうこのおバカなエスカレーションだけでも十分なんですが、所々にタイポグラフィーでの遊びが顔を出します。圧巻はやっぱり50ページほどを無駄に使ったタイポグラフィーのサメのパラパラ漫画でしょうか。

ただしまあ冒頭のディックふうのアムネジアな展開もいまひとつ不安定感が足りませんし、主人公のロマンスもチープですね。だから主人公がぜんぜん可哀想じゃないんですよね。サメの登場にもこれといったスリルはありませんし。今風の情報技術を取り入れてはいても、メインのアイデアの部分は、タイポグラフィーの遊びも含めて、アルフレッド・ベスターの『分解された男』と Golem 100 から借りてきたみたいな感じですし。ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』にも通じるところがありますが、あれほどプッツンじゃないですしね。ということで、マット・ソーンさん、このあたりはお読みじゃないんでしょうね。

作品の全体的な印象はジャスパー・フォードの『文学刑事サーズデイ・ネクスト』に近いものがあるんですが、メイン・プロットに一本筋が通っている代わりに、サーズデイ・ネクストの気紛れな面白さや、キャラクタの魅力がないですね。正直言って見劣りします。『不思議の国のアリス』もベースにはあるかと思いますが、これはわざわざ取り上げるほどでもないですかね。

ということで、アイデアの部分で楽しめれば十分という人には強くお薦めしますが、やっぱり中身がないとという人には、トム・マッカーシイの Remainder の方をお薦めしたいですね。読むのが面倒という人は映画を待つのが一番かも。活字のサメなんて、脳内映像だけでも楽しそう。う、あんまり考えると危険かも^^;

プロモーション用に色々なサイトが立ち上がってますので、興味のある方はどうぞ。

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Saturday, March 17, 2007

The Amnesiac, by Sam Taylor

The AmnesiacRemainder とか The Raw Shark Texts に続いて、またまた記憶喪失の本ですよ……って、タイトルそのまんまじゃないですか。

とある町に住んでいたときの3年間の記憶がまるまる抜け落ちている主人公は、思い出すためにその町を訪れ、今は廃屋となった見覚えのある家に入り込むんですが、その壁紙には『ある殺人者の告白』という19世紀の三文小説の第1章が隠されていて……さて、いったい何が起こったんでしょう?

まあこのままだったら普通のミステリの導入部分ですが、作者サム・テイラーのデビュー作だった前作の The Republic of Trees が、親元を逃げ出して森の中で生活する子供たちの確執を描いたもので、ゴールディングの『蠅の王』を思わせる作品としてちょっと評判になりましたんで、多分こんどの作品もミステリらしい素直な終わり方はしないんでしょうね。

いやでも、これだけアムネジア小説がまとめて出てくるとなると、また sick lit のリストを更新したほうがいいのかも。

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Friday, March 02, 2007

The Raw Shark Texts, by Steven Hall

The Raw Shark Texts (uk)トム・マッカーシイの Remainder という、失った過去を金にあかせて再構築しようとする男の話がありましたけど、こちらもアムネジアがらみの、フィリップ・K・ディックの作品みたいな話のようですよ……と思ったら、マーク・ハッドンによれば、「マトリックス」と「ジョーズ」と「ダ・ヴィンチ・コード」から生まれた私生児って、なんですか、これ? 他にも「メメント」やマーク・Z・ダニエレブスキーが引き合いに出されてたりしますし、なにやら映画化も交渉中のようですね。

記憶を失った男が、過去の自分が残したメモを手掛かりに、人々の記憶を喰らう純粋に概念上の魚であるルドヴィシアンに追われながら、同様に形而上的な捕食者から逃げている女と共に、電話帳でできた地下の迷宮を彷徨い(文字情報がルドヴィシアンに対するバリアになるんだとか)、暗号のメッセージを解読しながら、ヘンテコな人々と遭遇し、最後の対決へと向かう話ということで……う、ほんとに「マトリックス」と「ジョーズ」と「ダ・ヴィンチ・コード」と「メメント」と『紙葉の家』そのもののお話みたい^^;The Raw Shark Texts (us)

その上タイポグラフィーの遊びがあるとなると、イドの底へ降りていくアルフレッド・ベスターの『ゴーレム100』のような雰囲気も。50ページに亙るサメのパラパラ漫画っていうのが気になります。オフィシャル・サイトに行くとタイポグラフィーのサメが襲ってきますけど、これがそうなんだろうか。

イギリス版のカバーもヘンテコですが、アメリカ版はもっとどうしようもなさそうですね。作者スティーヴン・ホールのマイスペースのページはこちら

[追記] こちらに感想上げました。(2007/4/25)

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Tuesday, May 23, 2006

Pathology in the Hundred Acre Wood

ヴァンダーミアのブログで面白いものを見つけました。カナダの医学雑誌に掲載された論文ということなのですが、『クマプーさん』の登場人物たち(?)を病理学的に分析したところ、非常に危ない状況に置かれており、早期に何らかの処置をしないと大変なことになると警鐘を鳴らしています。

Winnie-the-Pooh: 80th Anniversary Editionまずはクマのプーには明確な ADHD の兆候があり、蜂蜜に対する強迫性障害が見られるとのこと。トゥーレット症の可能性もあるそうです。ピグレットについてはヘファランプ(ゾゾでしたっけ?)を捕らえようとした経験がトラウマとなり、全般性不安障害へと発展した恐れがあり、イーヨーは気分変調症、フクロウは典型的な失読症とのこと。

また、ルーに対しては過保護な片親による生育環境面での不備や、ロール・モデルであるティガーの悪影響が指摘されています。クリストファー・ロビンについては明確な疾病の兆候は見られないものの、シェパードの挿絵から察するに、性同一性障害の可能性もあるそうです。

ううむ、いちいち思い当たる指摘ばかりですね(笑)。しかし、この CMAJ って、れっきとしたカナダ医学協会(Canadian Medical Association)の専門誌だそうですけど、学術論文ってこういうもんだったんですか(<普通は違うと思う)。

チェックしてみたところ、この論文、「ユリイカ」2004年 1月号のクマのプーさん特集号に、「百エーカーの森の病理:A・A・ミルン作品にみる発達障害」の題で邦訳があるようです。う~ん、プーのファンはこれを読んで面白がったんだろうか、怒ったんだろうか。

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Sunday, May 21, 2006

Electricity, by Ray Robinson

Electricityてんかんの発作を苦にして孤独な生活を送ってきたヒロインが、母親の死をきっかけに故郷に戻り、家族のしがらみや人とのかかわりに目覚めていく物語のようです。とはいいながら、幼児虐待がらみの暗い展開もあるようですね。

で、ちょっと話題になっているのが主人公の鮮烈な語り口で、特にてんかんの発作の場面では、万華鏡のようなとも形容されてますが、タイトルにふさわしい電撃的な描写になっているようです。

She looks at me and we smile and the bolt, it snaps my hand away like fire and the planet tilts, burnt wind blowing around inside me, skin suck-sucking the dust in and the crackles, the coughing . . .

They're here again.

Shadows moving all around me, breathing static breath, smell them in the buzzing as they sliiiiiide their long fingers in, tickling the switch and the colours, the sweet colours are here wrapping their arms around me like they love me.

ううむ、全編この調子だったら目がくらくらしそうですけど、五感を刺激する文章は読む価値がありそうですね。

基本線はハンディを負った主人公の肯定的な物語ということで、ウケ狙いの微妙に安っぽい印象の表紙とはかなり違った内容のようです。

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Saturday, March 04, 2006

"The Yellow Wall-Paper", by Charlotte Perkins Gilman

Charlotte Perkins Gilmanナオミ・ミッチスンの話題で、アメリカの女性活動家の一人、シャーロット・パーキンス・ギルマンの短編を思い出しました。

"The Yellow Wall-Paper" という、閉じ込められた部屋の黄色の壁紙に恐怖を掻き立てられる女性を描いた、19世紀末のホラーの一編とも抑圧された女性の叫びとも取れる自伝的な短編ですが、シャーリー・ジャクスンの先駆ともいえるようなかなり異様な作品です。

知り合いによると、黄色が臭いに転化された共感覚を扱ったものだということですが、そこまでははっきりとは分からないものの、雰囲気を肌触りとして表現した作品ではありますね。

どなたかが翻訳したものもこちらで読めるようです。

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Tuesday, November 22, 2005

Black Hole, by Charles Burns

Black Holeあんまり好みの表紙でもないので見送ってたんですが、すごく評判がいいので結局買うことにしました。ノスタルジックなホラーだということですが、性交渉によって感染する "bug" という病気にかかると、体の一部に変形が始まり、幻覚をみるようになるのだとか。アメリカ版の楳図かずおかつげ義春なんでしょうか。

こちらでキモチワルイ絵が一部チェックできます。う、カエルの解剖だ^^; うなされそう。

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Friday, November 11, 2005

A (Hopefully) Growing Guide to Sick Lit

このところ病気、というよりは、特殊な感覚を持った主人公や、異常な状態に置かれた人々を扱った作品が数多く書かれています。流行とまでいえるのかどうかは分かりませんが、特殊な視点を得るための手法として積極的に活用されているのは確かです。

これにともない、一般的な用語というよりは、半ば冗談で sick lit という言葉が生まれました。通常の疾病をストレートに扱ったものではなく、あくまで視点の転換を目的にしたものなので、それって厳密には病気じゃないだろっていうものが主な対象となります。実質的にはドラッグによる幻想や現実崩壊感をもっと一般的に受け入れられやすい形で描き出した、いわば合法的なドラッグに相当するものなのではないですかね。

とうことで、目に止まった作品をリストしてみました。もし他にもここに当てはまるような作品がありましたら、コメントや掲示板でお知らせください。随時追加します。ただし、現実の病気を揶揄するような作品やコメントはご遠慮ください。(2005/11/9)

The Thackery T. Lambshead Pocket Guide to Eccentric & Discredited DiseasesGeneral Guidebooks:

Synaesthesia (共感覚):

  • Starseeker, by Tim Bowler (『星の歌を聞きながら』)
  • A Mango-Shaped Space, by Wendy Mass (『マンゴーのいた場所』)
  • Mondays Are Red, by Nicola Morgan
  • "The Empire of Ice Cream", by Jeffrey Ford (「アイスクリームの帝国」)
  • Evening's Empire, by David Herter
  • Painting Ruby Tuesday, by Jane Yardley
  • Astonishing Splashes of Colour, by Clare Morrall
  • Memory Artists, by Jeffrey Moore [+アルツハイマー]

Autism, Asperger's Syndrome (自閉症、アスペルガー症候群):

  • The Curious Incident of the Dog in the Night-Time, by Mark Haddon(『夜中に犬におこった奇妙な事件』)
  • The Speed of Dark, by Elizabeth Moon (『くらやみの速さはどれくらい』)

Amnesia (記憶喪失):

Coma, NDE (昏睡、臨死体験):

The Tarrying Dead (死者):

  • The Lovely Bones, by Alice Sebold (『ラブリー・ボーン』)
  • Shade, by Neil Jordan
  • The Innocent's Story, by Nicky Singer

Others (その他):

  • Motherless Brooklyn, by Jonathan Lethem (『マザーレス・ブルックリン』) [トゥーレット症候群]
  • Hallucinating Foucault, by Patricia Duncker [統合失調症]
  • 98 Reasons of Being, by Clare Dudman [精神病院の患者]
  • Skallagrigg, by William Horwood (『スカヤグリーグ』) [脳性マヒ]
  • Set This House in Order, by Matt Ruff [多重人格]

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Tuesday, November 01, 2005

"The Ninth Life of Louis Drax" by Liz Jensen

the_ninth_life_of_louis_drax 傷んだセルロイドの人形は、純真無垢な表情をしているようでいて、周りの骸骨とか毒薬とかを見ると、なにやら悪意を抱いているようにも見えるし、この表紙はとても気になります。

Cats have nine lives と言いますが、"The Ninth Life of Louis Drax" の主人公、聡明だけど変わった少年ルイ・ドラックスは、毎年とんでもなく危険な目にあっては、辛うじて助かってきたものの、9歳のときに崖から落ちて昏睡状態に陥ってしまうそうです。

この作品は、昏睡状態に陥ったルイと、昏睡患者を扱うクリニックの医師ダナシェによって語られるサイコ・スリラーだそうなのですが、う~ん、読んでみないとよく分りませんが、なんかおもしろそうです。

ペーパーバックも出ているのですが、表紙はやっぱりハードカバーですね。

アンソニー・ミンゲラの監督で映画化も決まっていて、来年公開予定のようです。

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Monday, October 17, 2005

Evening's Empire, by David Herter

これも怪しい話なんですが、作品の雰囲気が晩秋のイメージなんですよね。かなり好みの作品です。

作者のハーターはヤナーチェクの大ファンということで、チェコにヤナーチェクの研究に行ったりしてるので、なかなか次作が出ませんね~。までも、その甲斐あってか、来年出る予定のヤナーチェクのピアノ曲集のタイトルを冠した On the Overgrown Path は、奇妙な殺人事件に巻き込まれたヤナーチェクを主人公にしたミステリふうのファンタジイだとか。う~ん、楽しみですね。SFとオペラの関係について書いたこのエッセイも、あまり知られていないオペラを紹介していて、この人、どちらが本職なんでしょう?

Evening's Empireハイ・ファンタジイと児童書ファンタジイばかりがもてはやされる中で、大人向けの正統派のファンタジイを書く新人作家の登場は貴重である。とはいえ、最初からベテラン勢の作品に伍した傑作をものするような新人は、そうそう現われるものではない。幸運なことに、2002年は、二人の実力派の若手の力作が相前後した。奇しくも、ティム・パワーズとジェイムズ・ブレイロックを彷彿とさせる作風が好対照を見せている。

ひとりは、19世紀のニューヨークを舞台にアステカの神の復活を描いた A Scattering of Jades で長編デビューのアレクサンダー・C・アーヴァイン。エキゾチックな神話と時代の裏面史の取り合わせが、パワーズの『アヌビスの門』を思い起こさせる。いっぽう、エキセントリックな登場人物と奇抜な設定を得意とするブレイロックを連想させるのが、今回紹介するデイヴィッド・ハーターである。

じつは、ハーターのデビューは 2000年の Ceres Storm に遡る。こちらはナノテクで大きく変貌した太陽系を舞台に、支配者のクローンとして育てられた主人公の自分探しの旅を核とした、スペース・オペラの3部作の第1作であった。ジーン・ウルフやポール・マコーリイの遠未来ものの系譜に連なる異質な世界描写が、時として無機質な手触りを見せ、正直なところあまり楽しめなかったが、続編のつもりで手に取った本書は、意外にも、繊細な描写に満ちたシリーズ外のファンタジイだった。

現代音楽の作曲家であるラッセル・ケントは、ヴェルヌの『海底二万マイル』を題材としたオペラの作曲に専念すべく、オレゴンの海辺の寒村イーヴニングに赴く。じつはこの村は、二年前に滞在したときに、最愛の妻を事故で失った思い出の地でもあった。詮索好きなインフォメーションの老嬢も、ペンションを経営する若き未亡人ミーガンも、同情とともにラッセルの再訪を歓迎してくれる。だが、夜な夜な夢に現われる妻の姿と、晩秋の村に漂う陰鬱な雰囲気に、作業は遅々として捗らない。

気分転換にと散歩に出たラッセルは、村の主だった住人と顔見知りになる。古本屋の店主の紹介で、アマチュア考古学者カーヴァーや、村の創始者ジョセフ・イーヴニングが遺した館の管理人親子と飲み友達になったラッセルは、反チーズ連合への参加をうながされる。じつは、創始者イーヴニングの時代から、唯一の特産物であるチーズを製造する工場長が、この村の運営を取り仕切ってきたのである。反チーズ連合は、工場長の独裁を潔しとしないものたちの集まりだった。

いっぽう、二年前に妻が足をすべらせた崖を訪れたラッセルは、そこで奇妙な容器を拾う。カーヴァーによれば、イーヴニングの海岸には、しばしば太古の遺物が打ち上げられるという。だが、苦労してこじ開けた容器の中から現われたのは、得体の知れぬ小動物の骨だった。尋常ならざる村の姿に徐々に眼を開かれていくラッセルが、遠巻きに付け狙う二人組の男の存在に気づいたのはちょうどそのころだった。

ある日、地元の音楽教師が、奇妙なパターンの写った写真を彼の元に持参した。古代の楽譜ではないかというのである。色彩が音として聞こえるという共感覚の持ち主であるラッセルは、チーズ工場の地下で撮影したという不鮮明な写真から、奇妙な音楽を感じ取った。だが、是非実物を見てみたいと意気込むラッセルに、大きなチーズの塊に相手の顔を彫刻しながら受け答えする工場長は、頑として応じない。地下には、イーヴニングが植民して以来の、この村の存在理由が隠されていたのである。

閉鎖的なカルトの支配する村に紛れ込んだ旅人の受難の物語である。ただし、ストーリーはホラーに向かうことなく、ミーガンとのロマンスや、ネモ船長に心酔するオペラの脚本家の来訪を交え、最後には村を挙げての大活劇へとなだれ込む。少々、というより、かなりトンデモな設定が、奇想天外なヴェルヌのロマンスに対するオマージュとなっているところが微笑ましい。

ごくおだやかな幕開けから、村の雰囲気や住民の振る舞いに微細な不協和音を忍ばせ、徐々に異様さを盛上げていく作者の手綱さばきには揺るぎがない。シリアスな対立とコミカルなやりとりをほどよくブレンドし、古風な仕掛けをうまく現代に溶け込ませる絶妙なバランス感覚も、繊細さの要求されるモダン・ファンタジイにまさにうってつけといえる。次作以降はSFに戻るという作者だが、早期にファンタジイ第2作を期待したいところである。(2002/12/10)

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