Ghostwalk, by Rebecca Stott
以前ちょっと面白そうということで話題にした作品ですが、読みました。未練たらたらのヒロインの語り口が、高級チック・リットかインテリ向けのロマンスみたいで、じつはかなりうんざりする書き方なんですが、これは誉めるしかないでしょう。うじうじした主人公やじれったいヒロインはもうそれだけで耐えられないので、半分ぐらいまでどうしようかと思いましたが、途中で止めなくてよかった。
台本の仕事であちこち飛び回っているヒロインのリディア・ブルックは、恩師である溺死した歴史家/伝記作家エリザベス・フォーゲルザンクの葬儀のために、久しぶりにケンブリッジを訪れる。そこには、できれば顔を合わせたくないかつての不倫相手であるエリザベスの息子、キャメロン・ブラウンが待ち受けていた。いまだに未練を捨て切れていないリディアの当惑をよそに、キャメロンはリディアに、しばらくケンブリッジに滞在して、エリザベスの遺作であるニュートンの伝記を完成させてくれないかと持ちかける。それがエリザベスの遺志でもあるのだからと。
やむなくエリザベスがスタジオとして使っていたコテージに住み込み、ゴーストライターとして働くことを承諾したリディアは、エリザベスの原稿と資料の調査に取り組む。The Alchemist と題された伝記の骨子は、一般に定着した孤高の天才というニュートン像に疑問を投げかけ、彼の研究は錬金術師たちのネットワークによるサポートに多くを負っていたことを示唆するものだった。エリザベスの死体の手に握られていたニュートンのものと思しきプリズムも、錬金術師の秘法を使ってヴェネチアで作られたもの。ニュートンの最初の大きな功績である光りの性質の解明はこのプリズムでもたらされたのだ。
いっぽう、エリザベスによれば、ペストの大流行により不安定な時代であったとはいえ、ケンブリッジの教授陣を中心に、ニュートンの周りでは不慮の死があまりにも多すぎるという。それも階段からの墜落死と溺死というそうそう起こるはずのない事故で、2年ほどの間に5人の人間が死んでいる。結果として、数学の試問で不本意な成績を残しながらも、ニュートンは教授として推挙され、無事にケンブリッジに残ることができた。
さらに、エリザベスによれば、1660年代のケンブリッジで死人が出ていたのと同じ日に、現代のケンブリッジでも酷似した状況での不慮の死が2件発生していた。そしてエリザベスの溺死……。リディアは、エリザベスの助手をしていた少女ウィル・バロウズや、葬儀の日に「あなたが来るのを待っていた」と謎の言葉を残して去ったエリザベスの親友、隻眼・刺青の女海賊のようなディリス・カイトの助けを得ながら、17世紀の歴史とともに、エリザベスの死の謎も追うことになる。ウイジャ・ボードを使って17世紀の被害者を呼び出すディリスは、エリザベスもこうして謎の解明に至ったのだというのだが……。
そのいっぽうで、現代のケンブリッジも決して平和な街ではなかった。NABED と名乗る動物愛護団体の過激派が、毛皮のコートを扱うブティックや食肉店、ペット・ショップのウィンドウを破壊し、犬や猫を虐殺し、時には人身にも被害が出ていた。そのメインのターゲットは、新薬の開発のために動物実験を行っている、キャメロンが指揮する神経科学の研究所だった。リディアには NABED という言葉に心当たりがあった。ニュートンが暗号でメモを書くときのキーワードだったのだ。破壊活動はエスカレートし、リディアが密会を続けるキャメロンの周辺にも被害が及んでいく。そして、リディアの視界の片隅を横切る緋色のマントの男。果たして17世紀の出来事と現代の混乱の間には、エリザベスが予見したような、なんらかの繋がりがあるのだろうか……。
いやもう、ストットさん、小説家としてのデビューを飾るにあたり、ものすごく冒険してます。史実に基づく謎に幽霊とオカルト、甘ったるい不倫のロマンス、ケンブリッジにまつわる紀行文、現代の連続殺人事件に、ハイテク企業が巻き込まれる社会問題。キャメロンが研究している神経薬に関しては、空間を隔てた量子の相互作用であるエンタングルメントが、時間を越えて起こることが示唆されて、作品のモチーフとして一役買ってます。まあこの部分はミクロの現象とマクロの因果関係にギャップがありすぎるので、単にイメージだけで終わってますが、普通歴史ミステリにこんなの持ち込みますかね(フィリップ・プルマンが児童書ファンタジイで使って以来の驚きですね)。
多層的な物語の締めくくりにふさわしく、結末もまるで多世界解釈のように、いくつもの回答が示唆されています。いえ、どうにでもとれる曖昧な解決で終わっているというのではなく、いくつもの回答が同時に成立するような見事なまとめ方なんです。中には、主人公は気づいていないものの、読者には見えているという構成上の視点もあって、これはちょっと凄すぎ。ジャンル・ミステリとは肌合いが違うので、なかなかミステリ・ファンの目には止まらないかもしれませんが、読んで驚いてみてください。
スタイル的にもいろいろ工夫が凝らされていて、エリザベスが書いた The Alchemist の抜粋という形で、注釈と図版の入ったエッセイの形の章が3つほど組み込まれてますが、このあたり、ダーウィンやオイスターにまつわるノンフィクションがある作者にとってはお手のものなんでしょうかね。まあノンフィクションで書くには材料が少なすぎるので、小説に生かしたのかもしれませんけど。
未練タラタラのリディアの語りの部分は、時により中学生の女の子の手記かと思うくらいに幼いところがあって、正直勘弁して欲しくなるんですが、景観の描写が街の歴史から逸話へと横滑りし、個人の思いを抜けて象徴的に作中の出来事へと影を落としていく、意識の流れの変形のような書き方は、慣れてくると我慢できるようになります。まあうんざりして途中で投げ出す人も出るだろうなと思いますし、嫌な手法だとは思いますが、これも作者のセールス・ポイントのひとつかも。
ちなみに、作中人物の大仰な名前の選び方は、やっぱりロマンスを意識したんでしょうか。まあウィル・バロウズ(Will Burroughs)なんていう名前がロマンスにふさわしいかどうかはわかりませんが^^)
ということで、感情移入できる登場人物はいないし(リディアもキャメロンも早くくたばってしまえと思ったのは内緒です)、心地よく読める作品ではないんですが、刺激的ということではちょっと例を見ませんので、並みの娯楽ものに飽き足らない人には強くお薦めします。大手のレヴュウが見当たらないので、まだあんまり評判になっていないのかもしれませんが、じわじわと評価の高まる作品じゃないかと思います。
作者の背景に関する面白い記事がこちらにありますが、なんと、十代になるまで原理主義のカルト教団のコミュニティで生活していて、テレビやラジオ、普通の読み物はすべて遠ざけられてたんだとか。癖の強い書き方も、なんとなく納得ですね。英語と美術史を専攻し、現在は英文学の教授だという作者レベッカ・ストットのオフィシャル・サイトはこちら。
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