Sunday, August 12, 2007

The Neddiad: How Neddie Took the Train, Went to Hollywood, and Saved Civilization, by Daniel Manus Pinkwater

さてさて、夏ですから夏向きのスカッとした話でいきましょう。

The Neddiadこちらでちょこっと触れましたカメの表紙がかわいい The Neddiad ですが、やはり期待通りの脱力感バッチリの楽しい作品でした。ナンセンスなストーリイ展開ということでは、イギリスのロウル・ダールに対し、アメリカのダニエル・ピンクウォーターここにありといった感じでしょうか。まあダールのシニシズムや、イギリス的ないびりの伝統は微塵も見られず、いかにもアメリカといったおおらかさや、根っ子にある真摯な姿勢がなんとも心地よい作品です。日本ではほとんど無名というのが信じられない、アメリカの秘宝といってもいいんじゃないでしょうか。

時代は 1940年代末から 50年代初頭にかけてでしょうか、シカゴに住む靴紐王ウェントワースステイン一家は、ハリウッドに出来た帽子の形のピザハウスでピザを食べてみたいというネディーの願いに応えて、大乗り気になった父親に率いられてロサンゼルスに引っ越すことになります。大陸横断の豪華特急スーパー・チーフに乗り込み、3日間の旅に出かけた一家ですが、アリゾナで一時停止の際に、ネディーは置いてきぼりにされてしまいます。というのが、駅に隣接したインディアンの民族展示場に見入っていたネディーは、時間の感覚を失っていたのでした。ネディーはそこで、シャーマンのメルヴィンから、笛を吹きながら踊る男が刻まれたカメの形の石を手渡されます。

やむなくホテルに泊まり次の列車を待つネディーですが、街ではウェスタン・カーニバルの真っ最中で、案内されたのはただひとつ残っていたいわくつきの部屋。そう、夜になるとやっぱり出ました、行儀のよい、ベルボーイの幽霊が! とはいえ、姿かたちは少年ながら、死んで 50年経つというこの幽霊、さまざまな宿泊客と出会い、なかなか経験を積んでました。いっぽう、カーニバルでは、ダートオニオン(ダルタニャン)を初めとした剣戟ものの主役で有名な花形役者の息子と知り合いになり、ネディーはこれからロサンゼルスに帰るという彼らの車に同乗させてもらうことになります。一度グランド・キャニオンを見てみたいというベルボーイのビリーも一緒にいくことになりました。

さてさて、グランド・キャニオンを空から眺めようという一行は、小型のプロペラ機に乗り込みますが、そこにはどうしてもパラシュートを身につけていたいといいはる東欧なまりのみょうちきりんな男、サンダー・ユーカリプタスも同乗してました。そして、空の上で、ユーカリプタスはネディーに銃を突きつけ、カメのお守りを奪います。パラシュートを開き、グランド・キャニオンへと消えていくユーカリプタス。はてさて、シャーマンから受け継いだ大事なお守りを無くしたネディーはいったいどうするんでしょうか……。

いやまあ、結末間際まで、少々ナンセンスでスラップスティックな話が進んでいきますので、あんまり心配はいらないんですけどね。ともかく無事にロサンゼルスへたどり着き、家族と再会したネディーは、役者の息子につられてミリタリ調の学校に通い、天然のタール・ピットから現われたサーベル・タイガーやマンモスの骨格に驚き、一見しとやかなお人形さん、じつはカウボーイ役者の父親譲りの親分肌の女の子と知り合いになり、友人のサーカス一座を訪ねたりしながら、新しい仲間たちと共に、カメ石を狙うさらなる悪巧みに立ち向かいます。揃いの黒服に身を固めた恰幅のよい十人組の警官なんていう文字通り人間離れした怪しい脇役も登場しますよ(たぶん他の作品にも出てくるキャラじゃないかと思いますが)。シャーマンのメルヴィンとも意外な形で再会しますし……って、この人、じつはずっと出ずっぱりなんでした^^;

さてさて、カメ石については、お約束どおり地球の運命に関わる重大な秘密が隠されていて、それを受け継いだネディーは、世界の安定を保っているパワーの源の力を借りて、太古の地神を鎮めるというなかなかクトゥルーふう……というよりは、かなりニュー・エイジふうの展開が待っているんですが、ピンクウォーターの場合、じつはお話のまとめの部分はどっちでもいいんですよね。まあのほほんな展開で気ままに寄り道しながら、最後にはきちんとまとめるというのは作者の生真面目さの表れではあるんですが、ピンクウォーターの真髄はほんとは寄り道にあります。このあたりがね~、誰でも知ってるベストセラーにならずに、その素晴らしさを発見した人たちによって支えられたロングセラーになっている原因でしょうね。Lizard Music なんかも、決して有名作品ではありませんが、かなり以前の出版にもかかわらず、絶版にならずに読み継がれているようです。

作者がこの作品で試みたのは、あからさまなメッセージの押し付けではなく、ごくシンプルに、作者が子供時代に好きだったものを、決してノスタルジイではないリアルタイムの視点で綴った、いわばエッセイを物語の形で発展させたものといえるでしょう。そう、50年以上前の風物を描きながらも、作者のワクワク感は今の読者にダイレクトに伝わってくるはずです。いつの時代を書こうとも常に「今」となる、ノスタルジイの通用しない児童書という枠組みがまさにピッタリの作品ですね。そんなあたりが大人が読んでも感心してしまう秘密じゃないでしょうか。

ううむ、暑さでぼけ~っとしてきて、最後のほう、何をいいたいんだか自分でもよく分からない紹介になりましたが、ともかく、のんびりと夏を過ごすには最適の本ですよん^^Y

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Thursday, June 21, 2007

The Keyhole Opera, by Bruce Holland Rogers

The Keyhole Opera2006年の世界幻想文学大賞の短編集部門で、居並ぶ強敵(ケリー・リンク、ジョウ・ヒル、ケイトリン・R・キアナン、ホリイ・フィリップス)を押さえて受賞した作品集ですので、かなり期待してたんですが、どうもいまひとつわたしには合わなかったですね。

フラッシュ・フィクションというよりはもう少し長いんでしょうか、2~3ページのショートショートがメインになるんですが、普通のショートショートの切れ味よりは短編の奥行きを追おうとしたような作品が多く、逆にもの足りないというか、中途半端になっているような印象があります。

全体を Stories / Metamorphoses / Insurrections / Tales / Symmetrinas という、作品の形式別に5つに分けた構成になってるんですが、Metamorphoses と Tales には寓話風の作品が並び、やはり作者の得意とする分野ということになるんでしょうか。2004年の世界幻想文学大賞の短編部門の受賞作 "Don Ysidro" は Metamorphoses に分類されてますが、亡くなった村の壷作りの名人の話を、ユーモラスな民話風の語り口で語った作品で、オチも見えてしまって、どうもこの寓話風の作品群が個人的に合わないようです。

Insurrections には実験的な作品が並ぶんですが、種々雑多なイメージを打ち出してくる作者の才気はわかるものの、基本的に攻撃的な作風ではないので、印象が薄いですね。

Symmetrina というのは作者が発明した形式ということで、前書きでマイクル・ビショップがそのルールを説明してくれてるんですが、なにやらすごく込み入ってます。全体が奇数のセクションで構成され、中央部に長い作品が来て、同じ語数で書かれた部分が対称的に配置され、一人称、二人称、三人称を含まなければいけないというものらしいんですが……実際に作品を読んでみると、なかなかいい形式です。あるテーマに基づいた短い連作短編の趣で、盛り上がりの部分と中休みの部分が適切に配置され、鏡対称の部分が時によりパロディとして働いたりして、呼応・対称がうまく生かされてます。

作品集の最後に置かれた "The Main Design That Shines Through Sky and Earth" というこの symmetrina の作品は、一番長い作品でもあるのですが、これはさすがに読み応えがありました。「教えること」をモチーフにした様々な状況を描いた掌編が、生で始まり、途中から徐々に忍び込む死のイメージに置き替わりながらも、決して暗くない死のエピソードで終わる組曲の形式は、たしかに傑作といえます。作者の特長をうまく盛り込んだ作品でもありますし。

この他、特別な形式に属さない Stories に分類された中で、菓子のレシピの中に恋人の裏切りに対する不満がぶつぶつと挿入される "Lydia's Orange Bread" というごく短い作品と、リルケの詩に対する講演を依頼された詩人が、分析的な講義を行いながらも、最後には生(なま)の感情に立ち戻る、メタフィクションの逆を突いたような "The Minor Poets of San Miguel County" が、作者のユーモラスな面とシリアスな面を代表するような秀作でした。まあ1冊の中にこれぞという気に入った短編が3編あったというのは、そう悪い確率ではないのかもしれません。

作者のブルース・ホランド・ロジャーズは、2002年以来購読者に e-mail で短編を配信する活動を続けてますが(これもメール・マガジンっていうんでしょうかね)、興味のある方はこちらへ。サンプル・ストーリイも提供されてます。

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Monday, June 18, 2007

Gradisil, by Adam Roberts

Gradisil (US)一癖も二癖もある作家が揃ったイギリスのSF界ですが、その中でもアダム・ロバーツはひときわ目立つ存在ですね。コマーシャルな作品を書けば絶対売れるだけの筆力を持ってるのに(まあ相変わらずユーモアもののパロディは続けてますけど)、シリアス路線のほうでは絶対にストレートな作品は書きません。個人的にはイギリスのロバート・チャールズ・ウィルスンといえるかなとは思ってるんですが、ウィルスンの設定をもっとヘンテコにして、登場人物のエクセントリシティを極限まで上げたような作風ですんで、う~ん、処置なしかも(笑)

真面目な話、イギリス勢ではジャスティナ・ロブスンとこのアダム・ロバーツはそろそろ本格的に邦訳されるべき作家だと思ってますので、これぞという作品を出して欲しいんですけどね、ロバーツったら、またやっちゃいました。面白いんですけど、なかなか一般的な評価に乗らないような作品。政治色の強さでは、最初の長編の Salt に一番近い感じでしょうか。

Gradisil (UK)Gradisil は、地球の磁界を利用して、低周回軌道の宇宙空間へ乗り出した人々の物語。地球の周回軌道を離脱するにはロケット・エンジンの推進力が必要なわけですが、とりあえず宇宙空間に出るだけなら、磁界を上手く利用すると通常の飛行機とほとんど変わらないような装備で実現できるそうなんです(このあたりの技術的裏付けは全くわかりませんけど)。

第1部はその先駆者の物語。資金を提供してくれた女テロリストを匿ったために殺されてしまった父親の復讐に取り付かれた娘クララを中心に、いかに低周回軌道がコロナイズされていったかが描かれます。いうなれば宇宙のトレーラー・ハウスの集落に、様々な理由で地球を逃れてきた人々が寄り集まった状態ですね。典型的なアナーキストの寄せ集めです。

メインとなる第2部は、クララの娘グラディシルが、「ソル」(solidarity = 連帯)と呼ばれるようになったコロニーの資金力に目をつけて、傘下に置こうと戦争を仕掛けてきたアメリカと、いかに対峙して独立を守り通すかという展開になります。軍事力もなく、アナーキストとして団結力にも欠けるソルがいかに大国をいなすかという構図は、Salt でも見られたものですね。小技を上手く積み重ねながらドラマチックな展開を用意した作者の腕の見せ所です。

コーダとして置かれた第3部はグラディシルの息子を主人公にしたエピソードですが、種明かしになりますので内容には触れないでおきましょう。ちなみに「グラディシル」は、コロニーを生命の木イグドゥラシルに見立てた音韻変化です。

相変わらずSF的アイデアにこだわり、決して隠し玉を使わずにフェアに手札を並べて、しかも読者の思いもよらなかった結末を提供し、叙述スタイルにも工夫を凝らしながら、SF的にもストーリイ的にもきちんと納得させて、なおかつアンバランスな奇妙さを読後も持続させる手腕は、う~ん、やはりアダム・ロバーツ的というしかありませんね。(ちなみに今回の小技では、第2部では "black" などの "c" を省略して "blak" と表記し、第3部では "-ing" などを "n" と "g" を重ねた発音記号に使われる記号で表記して違和感を助長してます。)

までも、今回も癖が強すぎるので、邦訳には向かないかもしれませんね。可能性が高いのは、やっぱりまともなSFに一番近い Plystom でしょうか。まああれもヘンといえばヘンですが……。ううん、プッシュしてるんだか足を引っ張ってるんだか分からなくなってきましたけど、Polystom はなんとかしましょうよ。

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Sunday, June 17, 2007

The Black Book of Secrets, by F.E. Higgins

The Black Book of Secrets他の本を探してたら落ちてきたんで、去年の12月に出た本をいまごろ読んでました。アマゾンの読者評の数とか見ると、Waterstone's の読者賞の候補に上がりながらも、流行には乗れなかったようですが、これはかなりの傑作。ヘンテコなアイデアと歯切れのよい語りともども、なんとも気に入りました。

出だしからして、皮の拘束帯の付いた拷問椅子を前にした少年の恐怖から始まるんですが、これが歯医者の治療椅子。なんだ、虫歯の治療かと思いきや、酒代の足しにと、両親が息子の歯を売り飛ばそうとしているんでした^^;

ということで、ただ City とのみ呼ばれる街からほうほうの体で逃げ出した主人公のラドロウ・フィンチは、手近な馬車に忍び込み、ペイガス・パーガスの村へと逃げ込んだところを、村にやってきたばかりだという質屋のジョウ・ザビドゥーに拾われます。スリ以外にも、文字を書ける才能を見込まれて、ラドロウは弟子として働くことになるのでした。

しかしながら、このザビドゥー、ただの質屋とは違って、ガラクタでもなんでも引き受けた上に、村人の秘密の告白を高値で買いとって、ラドロウに「秘密の黒い本」に記載させるのでした。生めた死体を夜中に掘り返して売りさばく墓堀人夫、父親をネズミのパイで殺してしまった肉屋、ミス・プリントのある稀覯書を老婆を殺して奪ってしまった女書店主……。とはいえ、ほとんどの犯罪は、高利で村人を搾り取る、吝嗇な地主ラチェットに弱みを握られ、やむにやまれずのことでした。

ということで、ラドロウの大げさな手記を挟みながら、犯罪交じりの胡散臭いエピソードが続き、当然のことながらザビドゥーとラチェットの対決へと話は向かうわけですが、なかなか捻りが利いてますね。そもそも、ザビドゥーの正体は何なんでしょう? いったい何を狙ってるんでしょうか?

ま、暗いユーモアの利いた話は、けっして説教臭くないモラルを秘めて、少々デウス・エクス・マキナの結末が用意されてるんですが、ここまで個性的なストーリイでまとめてくれたら十分満足ですね。息抜きの穴の開いた棺桶を頼まれた葬儀屋の告白とか、どこかで読んだような気もしますけど、なかなか気の利いた短編ミステリになってますし。

時代設定は具体的にされてないので、街の描写とかディケンズふうの雰囲気はありますけど、公開絞首刑をみんなで見物なんていうシーンもありますので、ヴィクトリアーナといってしまうには無理があるかも。

F・E・ヒギンズとイニシャル表記になってますが、フィオナさんということで女性の方ですね。Montmorency のエリナー・アップデイルのライバルになれそうな、ジョーン・エイキンの後継者がまたひとり増えたようで、うれしいですね。

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Saturday, June 16, 2007

Nova Swing, by M. John Harrison

Nova Swing海辺の街、サウダーデ(Saudade)の一角にある寂れたバー「黒猫白猫」では、人生を持て余しているかのような不景気な客がたむろしていた。時たま客が訪ねてくるツアー・ガイドの男、太りすぎた自称船乗り崩れ、そして、チンピラ船乗りの愛人を亡くして以来、ひとりで店を切り盛りしている女将。倦怠と、距離を置いた人肌の温かさが漂っている、どこにでもあるような店である。

とはいえ、海辺の街とはいえ、ここはケファフチ宙域の帯状に延びた特異点に沿った「ビーチ」にある惑星のひとつ。前作 Light のK-シップのパイロット、エド・チャイアニーズの出身地でもある。だから浜辺には、裸の特異点が吐き出したいつのものとも知れない異星人の遺物や、目的不明の物体が流れ着く。奇妙な光りに満ちた空間自体も特別な性格を帯びているために、それを目当てにやってくるツアー客を当て込んだガイドも成り立つわけだ。

ひとりの旅行客がガイドのヴィック・セロトニンを目当てにやってくる。だがこの女、過去の記憶がなく、自分が何を探しているのかわからないというのだ。一方、ヴィックが見つけた奇妙な物体、時には生物、時には石にと姿を変える拾得物は、金になることなら何にでも手を出すヤクザ、デラードの目を引く。ヴィックの頼りは、度重なる異空間踏査で体を壊し、今は寝たきり状態の先輩の宝探しだった。特に踏査の状況を詳細に綴った手記を、なんとしてでも手に入れたいところだ。

一方、空間の異変に警戒してしている警察の一部門 Site Crime の面々は、ツアー・ガイドや宝探しの動きに常に目を光らしていた。閉所恐怖症の妻を殺されたことが今でも心の傷になっているアルバート・アインシュタインそっくりの刑事レンズ・アシュマンは、凄腕の女刑事の助手にピンクのキャディラックを運転させながら、特にデラードの動きに警戒していた。空間から現われるものが、最近では物質だけでなく、特殊なアルゴリズムや生物が混じっている節があったのである。

ということで、様々な登場人物の思惑が、この特殊な浜辺を背景に絡まりあうわけですが、ノワールの舞台設定で始まりながらも、意外にも、それぞれのしこりをほぐしながら、明るい展開に向かいます。3つのストーリイ・ラインで複雑に構成されたアドベンチャーものの形式を取った Light とは、ずいぶん異なる形式です。続編というよりは、背景世界とアイデアを踏襲した姉妹編というべきかもしれません。

とういうのが、メインになるのが登場人物の「動き」ではなくて、あくまでこの世界の雰囲気や情景なんですよね。まあロス・トーマスのユーモアのトーンを少し落としたような極上の文章で語られる少々メランコリックな物語は、その世界に浸っているだけでも幸せ~という感じではあるんですが、クライマックスを迎えた後のコーダの部分、映画で言えばエンドロールが、甘く延々と続くのには正直戸惑いを覚えました。なんともバランスが悪いんですよね。読み終わってもなんだかキツネにつままれた気分。

が……。

後記の部分を読んでハタときました。知り合いのルイス・ロドリゲスの名前が出てきたので目が行ったんですが、M・ジョン・ハリスンはルイスに、"saudade" というポルトガル語を教えてくれたことに対して感謝しているんですね。

そう、街の名前として使われていた Saudade、じつは、他のどの言語を探してもこの言葉にぴったり来る訳語はないそうなんですが、「愛おしさをまじえた思い」ということで、懐旧の念にも、遠く離れた思いにも、手の届かない憧れにも、愛惜の念にも使われる言葉とのこと。長いエンドロールは、saudade の物語にはちょうどぴったりの長さなのでした。

SFの醍醐味では Light に一歩を譲りますが、イギリスSFには珍しい明るい結末の、姉妹編としてふさわしいチャーミングな作品です。クラーク賞受賞もむべなるかな、ですね。

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Monday, June 11, 2007

The Court of the Air, by Stephen Hunt

The Court of the Airこちらで Lilith さんが紹介していた本ですけど、わたしもそれなりに期待していたんですが、う~ん、なんか物語の書き方を教えてやりたくなるような本でした。

ジュール・ヴェルヌふうののどかな表紙はかなり偽物で、気球はほとんど活躍しないし、そもそも設定がバリバリのスチームパンクなんですよね。ま、そのあたりは問題ないし、最初の 100ページほどはパルプを模した速い展開でなかなか期待を持たせるんですが……。私娼窟に売られた孤児の少女、ところが最初の客は彼女を狙う殺し屋で……。一方、叔父の家に身を寄せる気球の事故の生き残りの少年は、一家皆殺しの目にあって気球乗り崩れと逃亡する羽目に。

じつは、空を制することで周囲からの攻撃を防いでいる民主的な国家ジャッカルのまわりでは、様々な悪巧みが渦巻いていて、隣の国ではバイオ兵器を研究しているし、ジャッカルの地下では昔の帝国がカルトな指導者の下息を吹き返しているしで、上空から下界を見守る空の宮廷の面々も気が気ではありません。でまあ、少女と少年の主人公が蒸気機関人やカニ少女などの助けを得ながら悪巧みと戦うことになるんですが……。

問題は、100ページを越えたあたりから、完全に同じことの繰り返しの金太郎飴状態になってしまうことなんですよね。主人公を初め様々なキャラクタを用意しながらも、ほとんどこれといった活躍もしないし、ストーリイのメリハリも何もあったもんじゃありません。

作中ではパルプ小説が大きな機能を担っていて(この作品の中では penny dreadful)、みんなが三文小説で世間の動きを追っているという設定なんですから、作者もパルプ小説に倣って、一定のリズムで山場を用意して話を進めていく手法を身につけたほうがいいんじゃないでしょうか。

The Somnambulist はパルプのパロディをやって成功した例だと思いますが、こちらのスティーヴン・ハントさんはパルプを意識しながらもパルプの何たるかを全く理解していないとみました。書き方によってはそれなりの作品になったんじゃないかと思うんですけどね。残念でした。

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Monday, June 04, 2007

HAV, by Jan Morris

HAV地中海に面したちっぽけな半島に位置する都市国家、ハヴ。もともとはギリシャ人が住んでいたらしいが、長らくトルコの支配下に置かれ、様々な民族が出入りし、マルコ・ポーロが訪れた頃には、中国人の建てた楼閣もお目見えしていたという。

その後イギリスの監視下に置かれ、革命期のロシアの脅威にさらされ、ドイツにも目を付けられていたが、交易路として栄えた昔や、戦時下の要衝としての位置付けはともかく、塩の輸出ぐらいしか経済的価値のない現在では、ほとんど忘れ去られた国と化していた。

往時のハヴは様々な有名人が訪れていたんですけどね。トルストイやディアギレフにニジンスキー、ヘミングウェイが注文したカクテルはいまでも飲めるし、ヒトラーもお忍びで偵察に来ていたという噂もあった。

さて、空港さえなく、あるのは鉄道と海路のみというハヴを、イギリスの有名な旅行記作家ジャン・モリスが訪れたのは 1985年のこと。内乱の勃発により中断されるまで、6ヶ月にわたって滞在した彼女が書き綴った、貧しいけれども自分たちの歴史や習慣、日々の生活に誇りを持って暮らしている様々な階層の人々の物語は、Last Letters from HAV という旅行記にまとめられ、ブッカー賞の候補にも上った。わたしもハヴを訪れてみたいという読者は引きも切らなかったという。

……って、ブッカー賞って、フィクションの賞じゃないですか。そう、小説とはどこにも明記されてなかったんですが、これは架空の国ハヴを舞台にしたフィクションだったんですね。あちこちの欧州の都市から借りてきたような、虚実の入り混じった微妙にノスタルジックで時としてユーモラスな物語は、イタロ・カルヴィーノの世界というよりは、アヴラム・デイヴィッドスンの The Phoenix and the Mirror に出てきた架空地中海史の世界とか、レーナ・クルーンの虫の国滞在期 Tainaron を思わせるようなところがあります。リッキ・デュコルネの偽史・偽博物誌にも通じますかね。

さて、時は下って 2005年、ジャン・モリスは再びハヴを訪れます。空港も出来、高層ビルが建ち、ビーチ・リゾートとして生まれ変わったハヴは、昔の町並みも姿を消し、人々の意識も変わり、厳しくなった警戒の中、モリスの滞在は6日間で中断されます。ハヴを覆っているのは、21世紀の現実でした。ということで、新装版として HAV のタイトルで 2006年に出版された作品には、20年後の章が 100ページほど追加されてます。ただし、この追加によって、この作品の意味は大きく変わってしまったといっていいでしょう。このあたりの経緯は以前にも触れました

たまたま両方の版を持ってましたので、Last Letters from HAV と、20年後の HAV of the Myrmidons を別の本で読むことになったのですが、できれば続けて読まないことをお薦めします。暗いトーンで終わるとはいえ、ある種ルリタニアものの趣を有する HAV の世界を、すぐに現実のしがらみで消し去ってしまうのはなんとももったいなさ過ぎます。作者がここに二重の意味を込めたのは十分理解できますが、それは20年というギャップがあってこそのこと。2冊に分けて出版したほうがよかったかもしれませんね。

じつはこの作品、昨年他界した知人が大好きな本の1冊として上げていたものでした。彼は追加の章、読んでないんですよね。

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Thursday, May 24, 2007

The Somnambulist, by Jonathan Barnes

The SomnambulistThe Somnambulist、読みましたが、これがなんとも意外な面白さ。文学的メリットのまるでない全くのナンセンスで、とうていあり得ないようなうそくさい登場人物による複雑怪奇な話で、いかにも素人くさい文章で書いてあるし誰も信じないだろうと語り手自身がいってるくらいですから、いちおうミステリの形式を取ってはいるもののやってることはかなり無茶苦茶。けど、ヴィクトリア朝末期の三文小説の体裁で書かれた物語は、展開を追ってるだけで美味しいです^^)

自前の劇場で奇術を見せているエドワード・ムーンは既に盛りも過ぎて、片手間の探偵家業も最後の事件に失敗してからこれといった依頼人もない。相棒の大男 Somnambulist(夢遊病者)と興行を続けてはいるものの、最近は客の反応もいまひとつの状態。この夢遊病者というのが得体の知れない男で、8フィートを超える巨漢ながら口にするのはミルクばかりで、口が利けずに石版を使って簡単なやり取りをするのみ。そのくせ、剣で刺されようが何をされようがその体には傷ひとつ残らず、時にはムーンのボディ・ガードも務めるという設定。

そんなムーンに馴染みの刑事から、久々の事件の依頼が舞い込んでくる。ビルから落ちて死んだあるシェイクスピア役者の死因に、不可解な点があるというのだ。調査を進めていくうちに、さらにもう一人犠牲者が出る。こちらの犠牲者は死ぬ前に「蝿男……」の一言を口にしていた。フリークを専門とする私娼窟に出入りしていたムーンは、そこである旅のサーカス一座に蝿男がいることを聞き出し行方を追うが、ムーンに追われた蝿男はビルから飛び降り、自らの命を絶った。

事件は解決を見たように思われたが、それはムーン自身をもターゲットの一つとした、本当の事件の始まりに過ぎなかった。アルビノのリーダーに率いられた Directorates という政府の秘密組織は、女降霊術師が10日後にロンドンにロンドンに降りかかると予言した未曾有の危機に対し、渋るムーンを動員しようとする。劇場を焼き討ちされたムーンは、嫌々ながらも協力せざるを得なかった。

ということで、詩人コウルリッジの遺志を継いだカルトの地下組織が、あっと驚く悪巧みを画策してるんですが、この作品の面白さは、章が変わるたびに得体の知れない登場人物が次々と登場してくるところですね。未来の出来事を知っていて、時間を逆に生きているらしいマーリンのような男とか、ムーンの昔の相棒で、警戒厳重なニューゲートに監禁されていながら闇の動きは何でも知っているハニバル・レクターのような囚人、ロシアが放った凄腕の暗殺者など、他にも伏せておいたほうが楽しいキャラクタが満載です。伝説のロンドンの最初の王ラッドの石像なんていうのも掘り出されてきますし。

正直ムーンや夢遊病者がごくまっとうな登場人物に見えてくるくらいですね。いちおう夢遊病者の正体らしきものは最後には明かされますが、あれは明かされたっていうんでしょうか。本人が明言しているくらいとっても信頼できない語り手の叙述上の仕掛けも、意外な形で種明かしされるというおまけもついてます。

プロットは複雑怪奇に紆余曲折して楽しませてくれるんですが、結末はもうひとひねりあってもよかったかもしれません。まあ、なんじゃこれっていうキャラクタによるヘンテコなエピソードが次から次へと続きますので、これ以上の贅沢はいらないかもしれませんが。女王が亡くなってすぐの時代という設定のようですので、ほんとうはエドワード朝ものというべきかもしれませんが、このカラフルさはヴィクトリア朝に分類しても不都合はないでしょう。

この作品はジョナサン・バーンズのデビュウ作ということですが、Times Literary Supplements でレヴュウなんかもやってる人みたいですので、けっこう英文学の専門家なんでしょうね。SF作家のアダム・ロバーツが、19世紀英文学の教授として宣伝文句を寄せていますが、嘘ではないとはいえこれもパロディですね~^^) 次作が楽しみな作家が登場しました。

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Tuesday, May 22, 2007

Water for Elephants by Sara Gruen

Water for Elephantsこの本、今、BookSense.com でベストセラーに挙がっています。Amazon US では、#15。表紙を見て、テントの中に何があるのかと気になってはいたのですが、サーカスのことだし、もしかしたらおどろおどろしい話なのではないかと敬遠していました。でも、読んでみたら素っ気ないくらい胡散臭いところがなかったので、ちらりとご紹介。

プロローグ:大恐慌の嵐が吹き荒れる1932年アメリカ。サーカス団 “The Benzini Brothers Most Spectacular Show on Earth” の動物係ジェイコブがテントで遅い昼食をとっていると、『星条旗よ永遠なれ』が響き渡る。仲間うちで “Disaster March” として知られている曲だ。動物たちが檻から逃げ出し、団員、観客が騒然となる中、ジェイコブはマーリーナと象のロージーを必死に探す。やっと見つけた彼の目に映ったのは、「彼女」が動物使いのオーガストの頭上に鉄杭を振り下ろす姿だった。

*****

時は現代。90歳か93歳(本人も定かではない)になったジェイコブのいる老人養護施設の隣に、移動サーカスがやってくる。ジェイコブの頭脳は未だ明晰だが、いつか無表情の呆けた連中の一人になるものと内心恐れている。看護婦たちも入所者全員を老人集団としてしか見ない。おきまりの離乳食もどきの食事をとっていると、新入りの元法廷弁護士が「昔、よく象に水を運んだものだ」と自慢し、ジェイコブと口論になる。結局、ジェイコブが喧嘩を売ったということになり、彼は自室に軟禁されてしまう。だがこれがきっかけとなって黒人の看護婦ローズマリーがジェイコブの人間性に気づき、二人の間に心が通い合うようになる。

*****

1932年、23歳のジェイコブはコーネル大学で獣医学を学んでいた。最終試験が終われば資格がとれるというとき、両親の事故死の報が入る。この瞬間、彼は親も家も財産も、すべてを失ってしまう。家が抵当に入っていたのは、獣医だった父親が、不況に喘ぐ畜産農家を助けるため報酬を麦や野菜などの現物で受け取りながら、ジェイコブをアイビー・リーグの一流大学に通わせていたためだった。呆然としたジェイコブは、最終試験を白紙で提出したあと、あてどなく歩き回り、たまたまそばを通っていたサーカスの列車に飛び乗ってしまう。放り出されそうになる彼を助けてくれたのは、年老いたアル中の男、キャメルだった。

獣医学の心得があることがわかり、ジェイコブは興行主のアンクル・アルに雇われる。口添えしてくれたのは、魅力溢れる動物使いのオーガストだった。アンクル・アルの野望は、一流のリングリング・サーカスと肩を並べること。大恐慌の最中、各地のサーカス団が潰れるたびに、目ぼしい団員や動物を買い取り、彼のサーカス団はどんどん大きくなっていた。一方、ジェイコブは、オーガストの非常にチャーミングな面と冷酷な面の二面性に翻弄される。オーガストには動物のショーの主役を務めるマーリーンという若く美しい妻がいて、ジェイコブは彼女に強く惹かれるが……。

というのが冒頭部分で、老人介護施設にいる現在の主人公と、1932年の主人公の話しが平行して進んでいきます。90歳を超え、誰にも理解されず、檻の中の動物のように軟禁状態にあるジェイコブの反骨精神とユーモアはなかなか楽しめます。

もちろん主体は1923年側にあり、印象に残る登場人物(成り上がり興行主のアンクル・アル、統合失調症のオーガスト、薬物中毒にかかるキャメル、同室になる小人のウォルター、ウォルターの愛犬クィーニー、そしてもちろん、マーリーンと、半ばあたりから登場する象のロージーなど)が沢山でてきますが、こちらの方は、綿密な調査に基づいて描かれた世界であるとはいえ、ちょっと甘いかな、という印象が残りました。

たとえば、団員に恐れられている人減らしの手段に、走行中の列車から突き落とす「レッドライティング」という非人間的な行為があります。当時実際に行われていたのは事実なのでしょうが、小説の中では、人は落命しても、ペットは運命をまぬがれるのです(この犬は前にも助かっている)。私もふだん小説の中で動物が犠牲になると悶々としてしまうのですが、ちょっと安直に話を進めすぎなんじゃ、と思われたところです。(全然関係ないけれど、かつてリーバス警部が付き合っていた女医と別れた原因も、リーバスが猫の出入り口のロックを外し忘れたため、女医の飼い猫が家に入れず、犬だか狐だかに惨殺されてしまったためでした。リーバスと女医の件はそっちのけで、しばらく悶々としたものです)

 このような印象はほかでも多々受けました。作者は当時のサーカスの状況を綿密に調べたと言っていますが、最初に物語りがあってリサーチを行ったというよりも、最初にリサーチをして、事実が生かせる物語をでっちあげたという感じ。煎じ詰めれば、勧善懲悪のハッピーエンドの物語なので、そこがちょっと物足りない。人生の悲哀の部分(きっと当時のサーカスはもっと悲惨だったはず)を切実に描いて読者の涙を振り絞っておけば、もっと厚みのある小説になっていただろうな、と残念です。アメリカでベストセラーになっているのは、国民性かもしれませんね。イギリスでの反応はイマイチみたいです。

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Wednesday, April 25, 2007

The Raw Shark Texts, by Steven Hall

The Raw Shark Texts (uk)以前なにやらヘンテコそうということで取り上げた作品ですが、すごく評判になってるみたいですね。既に30カ国に売れたということですので、おそらく日本も入っているんでしょう。映画会社4社が争って、ニコール・キッドマンが直々に電話して交渉したそうですけど、主人公を女性に変えることに拘ったため、別の映画会社に決まったんだとか。31才の作者スティーヴン・ホールのデビュー作ということで、なんとも期待を持たせます。

が……。

いえ、面白いんですよ。ほんとに「マトリックス」と「ジョーズ」と「ダ・ヴィンチ・コード」と「メメント」と『紙葉の家』みたいな話で、作中でも作者が言及しているように、ポール・オースターや村上春樹やデイヴィッド・ミッチェルや山のように出てくるポスト・モダンの作家の影響があるんだろうな~という書き方ですし。決して評判倒れということもなく、誉めてる書評もかなりありますし、アマゾンの読者評とか見ると英米どちらも絶賛している人がかなりいるようですし。

問題は、これほど話題になっていなければ単に面白いと言い切って済ませられるんですが、それほど評価される作品かということになると、釘を刺したくなるところがたっぷり出てくるんですよね。特にこの Independent の書評にはカチンときました。

"This is a literary novel that's more out there than most science fiction."

"The Raw Shark Texts is, for once, a novel that genuinely isn't like anything you have ever read before, and could be as big an inspiration to the next generation of writers as Auster and Murakami have been to Hall."

一体この人普段何を読んでるんだろうと勘ぐりたくなりますが、『ダ・ヴィンチ・コード』の愛読者ならともかく、このマット・ソーンって人、ブッカー賞の候補にもなったことがある作家なんですね。こういう間の抜けた人に公の場で書評なんかさせちゃいけませんね~。これじゃまるで斬新で中身のある作品だと読者が誤解しちゃうじゃないですか。

実際はアイデアの組み合わせと展開がごくごく楽しいので、それだけで十分元は取れるんですが、文章が『ダ・ヴィンチ・コード』よりはちょっとましな程度のありきたりのもので、平板なキャラクタに結末も完全に読めちゃうクリシェなので、正直スリルにもドラマにも乏しいです。色々なアイデアやタイポグラフィーの遊びの部分も、楽しいだけでテーマには直結しない底の浅さが見え見えで、ちょっと知的興奮というのもはばかられますね。ということで小説の部分はごくごくデッドでフラットです。

軽いパズルを組み合わせたような構成といい、もったいぶって書かれている割にはおバカなコメディとして読めちゃうところといい、『ダ・ヴィンチ・コード』的ともいえますので、もしわたしが帯に推薦文を書くとしたらこんな感じでしょうか。

バカでも読めるエス・エフ・ライト(コオロギの合唱付き)

ううむ、だれも使ってくれそうにありませんね^^;

いやまあ、これだけではあまりにも無責任ですので、内容紹介しておきます。

The Raw Shark Texts (us)自分が誰なのか、どこにいるのか、全く思い出せない主人公は、記憶を失う前の自分だと名乗るエリック・サンダースンの手紙を頼りに、心理学者を訪ねます。ことの真相は、2年前にギリシャのナクソス島で恋人のクリオを亡くしたことが心理的要因となり、エリックは11度にわたる記憶喪失を繰り返したというものでした。心理学者は、回復の妨げになるため、過去の自分の書いたものは何も読まないようにと釘を刺します。

しかしながら、エリックからの手紙は続き、主人公は記憶喪失の本当の原因を知ります。それは、純粋に概念上の存在である魚ルドヴィシアンが、主人公の記憶を食べてしまったというものでした。人間関係や因果関係の流れを住処とした海洋生物には色々なものがありますが、ルドヴィシアンは特に性質が悪く、一度襲った人間を自分の縄張りと見做し、記憶をすべて食い尽くすまでいつまでも付けねらいます。

そのとき、テレビのホワイトノイズに何かがボンヤリと浮かび上がってきます。じっと見ているとそれはこういう映像になり、突然巨大なものが飛び出してきました。思考のサメとの最初の遭遇でした。

エリックの手紙には、自分の思考を外に漏らさないための「サメ避けの檻」の設定方法が書かれていました。それは部屋の四隅に互いに関係のない話者のテープを再生したディクタフォンを置き、非分散型の概念ループを構成するというものでした。また、様々な思考の記述された本を自分の周りに積み上げることや(これうちでもやってます^^)、たくさんの手紙を持ち歩くことにも効果がありました。

また、エリックからは、電球と、その点滅を記録したビデオ・テープも送られてきます。サメに感知されないように、モールス信号と QWERTY キーボードのキー配列を組み合わせた暗号によるメッセージは、クリオとの思い出を綴ったものでした。

一方、ルドヴィシアンから隠れているだけでは限度があることから、思考のサメについての権威であるフィドラス博士を探し出し、助けを乞うことが急務でした。主人公は、イギリス各地の図書館を巡りながら、お目当ての書物に書き込まれた暗号を探し出し、非空間(Un-Space)のどこかに潜んで研究を続けているという博士の足取りを追います。非空間とは、廃道や空き家、下水道、壁の中の空洞など、使われていない空間の総称でした(一時流行ったトマソンみたいなもんですかね)。

その間にも危機に遭遇した主人公は、非空間について詳しいという少女スコットに助けられ、大量の本や電話帳のバリアにより防御された地下の迷宮へと降りていきます。スコットは、マイクロフト・ワード(Mycroft Ward)という、人々の意識をプロセッサとして増殖し続ける知生体に犯されていて(笑)、そこからの解放を模索していました。

ということで、クライマックスはもちろんサメ退治ですよ^^)

いやまあこの概念上のサメから派生するアイデアの数々には狂気、いえ凶器、じゃない、狂喜しちゃいますね。もうこのおバカなエスカレーションだけでも十分なんですが、所々にタイポグラフィーでの遊びが顔を出します。圧巻はやっぱり50ページほどを無駄に使ったタイポグラフィーのサメのパラパラ漫画でしょうか。

ただしまあ冒頭のディックふうのアムネジアな展開もいまひとつ不安定感が足りませんし、主人公のロマンスもチープですね。だから主人公がぜんぜん可哀想じゃないんですよね。サメの登場にもこれといったスリルはありませんし。今風の情報技術を取り入れてはいても、メインのアイデアの部分は、タイポグラフィーの遊びも含めて、アルフレッド・ベスターの『分解された男』と Golem 100 から借りてきたみたいな感じですし。ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』にも通じるところがありますが、あれほどプッツンじゃないですしね。ということで、マット・ソーンさん、このあたりはお読みじゃないんでしょうね。

作品の全体的な印象はジャスパー・フォードの『文学刑事サーズデイ・ネクスト』に近いものがあるんですが、メイン・プロットに一本筋が通っている代わりに、サーズデイ・ネクストの気紛れな面白さや、キャラクタの魅力がないですね。正直言って見劣りします。『不思議の国のアリス』もベースにはあるかと思いますが、これはわざわざ取り上げるほどでもないですかね。

ということで、アイデアの部分で楽しめれば十分という人には強くお薦めしますが、やっぱり中身がないとという人には、トム・マッカーシイの Remainder の方をお薦めしたいですね。読むのが面倒という人は映画を待つのが一番かも。活字のサメなんて、脳内映像だけでも楽しそう。う、あんまり考えると危険かも^^;

プロモーション用に色々なサイトが立ち上がってますので、興味のある方はどうぞ。

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