Orion Books at YouTube
Orion Books が YouTube で作家インタヴュウを公開してますが、なんと~、イアン・マクドナルドとリチャード・モーガンの対談なんて、なんとも濃そうな取り合わせじゃないですか。まあ新作の宣伝が目的なので、あんまり中身はありませんけど。
他にもジョウ・ヒルやスコット・リンチのインタヴュウがありました。せっかくなので、もう少し本格的な内容のものを期待したいところですけどね。
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他にもジョウ・ヒルやスコット・リンチのインタヴュウがありました。せっかくなので、もう少し本格的な内容のものを期待したいところですけどね。
さて今日はヴァーナー・ヴィンジの『レインボウズ・エンド』の番ですよ。例によってもう少し詳しい紹介を。見事ローカス賞のほうは射止めてますが(SF長編部門)、現実的な近未来描写と等身大の登場人物による力みのないストーリイをどう評価するかですね。やはり小説としても上手いし、テーマとアイデアをしっかり盛り込みながらごく自然に見せてしまうのはさすがヴィンジ。ただ、その上手さが逆に一見してのインパクトを鈍らせているような印象です。よく読むとすごいし、あとから利いてくるタイプのいい作品なんですけど。
ヴァーナー・ヴィンジの7年ぶりの長編とくれば、『遠き神々の炎』、『最果ての銀河船団』に続く大掛かりなスペース・オペラの第3部か、シンギュラリティの提唱者としての激変した近未来を期待してしまうが、意外にも今作は出世作の『マイクロチップの魔術師』に通じるような、地に足の着いた現実的なハイテク・スリラーとなった。とはいえ、ワン・アイデアのエスカレーションによるサスペンスを追った一般的なテクノスリラーとは根本的に異なり、ヴィンジの描く 20年後の世界は、グローバルな高度監視社会と、ユビキタス・コンピューティングによる個人の自由度の拡大を対極に置き、その間を現在のネットワーク・テクノロジイの延長線上で考えられる様々な要素で埋めた、リアルな近未来像で構築されている。
2025年、テロ対策のため世界各地の動きに監視の目を光らせるヨーロッパのシンクタンクは、奇妙な符号に目を留めた。あるサッカーの試合の中継を見て暴徒化した人々と、ローカルなインフルエンザの流行に相関関係が見られたのだ。生物化学兵器による選択的な思考操作の実験を察した指揮官は、協調関係にあるインドと日本の諜報機関の代表をテレ・プレゼンスで呼び出し、カリフォルニア大学で秘密裏に行われていると見られるウィルスの開発に捜査のメスを入れることを決断する。とはいえ、アメリカの国防機関にその動きを悟られるわけには行かなかった。インドの代表は、以前使ったことのあるフリーランスの工作員を推薦する。だが、ウサギの姿で現れた工作員は、別の意図を内に秘めていた。
この世界的規模の動きに対し、ヴィンジが用意するのは、およそヒーローには似つかわしくないセカンド・ライフを得た老人と子供の連合軍である。このあたり、大局的な動静をローカルな事件が左右するという作者のおなじみのパターンといえるだろうか。米国防省の指揮官の家では、国家的一大事よりも、居候となった老父の扱いに手を焼いていた。アルツハイマーの治療に成功し、若返り手術を受けたはいいものの、アメリカを代表する詩人として名声をほしいままにした英文学者の父は、かなりの難物だったのだ。だが、実の孫娘にまでつらく当たる様子を見て、息子夫婦は彼を地元の中学校にリハビリのために送り込む。
とはいえ、このフェアモント中学校、じつはこの長編のパイロット版となった中編 "Fast Times at Fairmont High" でも舞台として使われていて、この時代の子供たちはウェアラブル・コンピュータと仮想現実を自由に使いこなし、企業活動に直結するデータ・マイニングと問題処理能力を学習しているという設定。主人公は、衣服とコンタクトレンズを入出力にした最新のコミュニケーション技術を習うと同時に、チーム作業での研究開発の実習を強いられる。だが、自尊心の塊のような主人公にとって、並みの中学生に混じっての共同作業など、侮辱にも等しい扱いだった。さらには、離縁された亡き妻への郷愁や、詩を書く能力の喪失にも苛まれ、彼は次第に問題児と化していく。唯一の救いは、彼の詩の朗読に感銘を受け、文章の書き方の教えを乞う、一人の少年の存在だった。
一方、地元の大学では、蔵書を裁断しながら記録を行う図書館の暴挙をめぐって、学生たちの反対運動が活発化していた。主人公は昔の知り合いの老人たちとともに、裁断機を破壊するための秘密活動に狩り出されるが、それは「ウサギ」が仕掛けた工作の隠れ蓑に過ぎなかった。デジタル社会を彷徨う不思議の国のアリスの境遇にも似た主人公の行動は、仲間の老人や中学生、はたまた彼の身を案ずる孫娘の協力を得て、図らずも世界規模の陰謀に対抗することとなる。それは同時に、主人公の人間としての再生も意味するものだった。
じつのところ、テクノスリラーの枠組みは便宜上の設定に過ぎず、ヴィンジの主眼は高度ネットワーク社会の行き着く先と、そこで生きる人々の自己実現のありかたを描くことにあるようだ。ここでは、国家による監視と企業の人心操作と平行して、視野に入るオブジェクトとデータベースを結びつけたタギングや、ヴィジュアルの重ね合わせによりゲームの中の世界のように変貌した現実が描かれ、瞬時の通信が意思疎通をサポートする。高度な管理社会は、個人の能力を最大限に引き出せる場でもあるのだ。同時に、そこではコラボレーションが大きな力を持つ。SFというよりは、やけにリアルなヴィジョンである。
今日はマイクル・フリンの『アイフェルハイム』のもう少し詳しい紹介を。こちらも力作ですね~。『ブラインドサイト』がなければこちらを一番に推すんですけど。邦訳を出して欲しい作品ではありますが、翻訳者がかわいそうかも^^;
宗教と迷信と封建制にがんじがらめにされ、文化的には縮退期にあった欧州中世の人々が、もし異星人と出会っていたとしたら一体何が起きていただろうか。悪魔が出現したと恐れおののき、原始的な武器を手にした騎士団が無益な負け戦を繰り広げる、ウェルズの『宇宙戦争』の中世版というのがもっともありそうなシナリオだろうか。だが、フリンの提示するファースト・コンタクトのバリエーションは、頑迷な暗黒時代という一般常識を覆し、中世の本質に切り込みながら、様々な階層の人々を配したごく人間的な物語を紡いでいく。
じつはマイクル・フリンには、1986年に発表され翌年のヒューゴー賞の候補になった同名のノヴェラがある。統計歴史学者と理論物理学者のカップルが、中世ドイツのシュヴァルツヴァルトに、計算上は存続していてしかるべきなのに、なぜか消滅してしまった町アイフェルハイムの謎を追ううちに、ファースト・コンタクトの存在と次元宇宙論のブレイクスルーに至るという骨子なのだが、20年を経て、作者はそのバック・ストーリーとなった中世の出来事を長編として書き起こすことにしたようだ。もともとのノヴェラは枠物語として作中に挿入され、中世パートとの対比・呼応による相乗効果をもたらしている。
ペストの影に怯える 14世紀のドイツ、シュヴァルツヴァルトの片隅に位置する町オーバーホーホヴァルトは、突然異変にみまわれた。轟音とともに雷が落ちた直後のように金属が帯電し、一部で火災が発生した。数日後、領主から、森に違法に住み着いた侵入者の調査を命じられた司祭ディートリッヒは、森の中に建てられた奇妙な館と、異形の一群に遭遇する。瞼のない巨大な目とペンチのような口で、灰色の肌をした長身がひょろ長い手足で動き回る様子は容易にバッタを連想させた。
じつはこのディートリッヒ、田舎町の司祭には似つかわしくない高度の見識の持ち主だった。パリにてビュリダンに師事し、ウィリアムのオッカムとも同僚だった司祭は、当時の神学の基礎となる論理学と自然科学に通じたトップレベルの学者だったのである。異形の者を悪魔として排斥することは可能だったが、ディートリッヒの理性が安易な判断を許さなかった。あからさまな攻撃性はないと判断した司祭と町民は、闖入者とおそるおそるの交渉を始める。
クレンケンと名づけられた余所者が所有する音の出る小道具により、相互の理解は徐々に深まっていく。抽象概念はなかなか通じないものの、それは自己学習型の翻訳機だったのだ。ディートリッヒは、旅行者を乗せて移動中の彼らが事故に遭い、森の中に頓挫したいきさつを知る。この世界で必要な資材を調達し修理するまでは、彼らはここに留まらざるを得ないのだ。
司祭の知識の吸収が始まった。ほぼ現代の人類と同等の技術力を持つクレンケンの宇宙論や物理学、生物学は、中世の知識の枠組みや用語を通してディートリッヒに咀嚼される。一方、蜂の社会のような階級構造を持つクレンケンの世界も、司祭の神学の影響で変化を受ける。また、ユダヤ人迫害に端を発した他の町との抗争やペストの侵入は、栄養素不足で斃れていくクレンケンの人間社会への貢献を強いていく。
神の概念を持たない異星人との神学問答は、誤解を交えた滑稽なやり取りから、次第に他者への理解と愛という本質に迫っていくが、このあたり、やはり神学とファースト・コンタクトを扱ったメアリ・ドリア・ラッセルの傑作 The Sparrow での緊張感を思い起こさせ、興味深いものがある。
異星人の姿かたちから「悪魔の棲む町」トイフェルハイムと呼ばれるようになり、いまはアイフェルハイムの名を残す地図から消えた町の物語は、同様にペストの悲劇にみまわれた中世を描いたコニー・ウィリスの『ドゥームズデイ・ブック』のように、そこに生きた人々の教会を中心とした日常を克明に焙り出す。チョーサーの『カンタベリー物語』の登場人物を配したかのような、当時のスタイルを模した文体で語られた物語は、馴染みのない言葉が頻出すること以上に、その情報量の多さで読者の努力を強いる。だが、主人公とともに中世の視点で現代の科学を読み解き、ルネサンス期へと通じる知識探求の萌芽を共有しながら、宗教と科学と社会のバランスをうまく取って危機に対処してきた人々の生活に触れるとき、努力に見合った以上の感動が押し寄せてくる。
個人的に大プッシュ中のピーター・ワッツの『ブラインドサイト』ですが、以前紹介したものよりもう少し詳しいレヴュウを書きましたので、ポストしておきます。作品のほうは作者のサイトでも公開されてますので、読まないのはもったいないですよん^^)
自分を自分であると認識すること――自我の意識は、人間と動物とを分けるひとつの指標だといわれている。厳密にいえば、ゴリラやチンパンジー、幼い人間の子供にはないが、オランウータンは自他を認識しているという。
さて、人間の精神活動とは切っても切れない特性として認識されてきた「意識」だが、そもそも「意識」と「知性」と「種の保存」の間には、それほど緊密な関係があるのだろうか。そして、それに付随して生まれた「同情」や「良心」には、いったいどんな意味があるのか。これまで海洋SFを書いてきたワッツが、初めて宇宙に飛び出しファースト・コンタクトものに挑戦した本作では、精神的な改変を受けた人々や AI、はたまた化石遺伝子から復元したヴァンパイアまでが登場して、不可解な異星生物に翻弄される中で、知覚や意識、知性に関する様々な議題をまな板に乗せ、解体し、冷徹な現実に基づいて再構成し、常識に疑問を投げかける。
主人公は、子供時代に癲癇の治療のために脳半球を切除したシリ・キートン。手術の結果、人間的な感情は失う代わりに、他者の反応を客観的に観察して瞬時の状況判断ができる「統合者」の能力を身に着けていた。彼の叙述は、自閉症者のモノローグで語られた、エリザベス・ムーンの『くらやみの速さはどれくらい』を思わせるものがある。非人間的な息子の誕生を悲観して「ヘヴン」という VR 施設に引きこもる母親や、キートンにいささかなりとも人間的な感情を呼び起こそうとするカウンセラーの恋人の心配をよそに、そのキートンにうってつけの任務が現われた。カイパー・ベルトの近辺に発見された、異星人の構築物らしい存在である。
21世紀末、人類はファースト・コンタクトを経験した。それは夜空を等間隔に染める流星雨として降り注いだプローブの群れの形で現われた。出所をつきとめた人類は、量子コンピュータの AI が制御する宇宙船「テーセウス」を用意し、異星生物に対応するための専門家のチームを組織する。体中を各種計測のためのセンサーで機械化した生物学者、多言語分析のため四重人格化された言語学者、そして、部下を見殺しにしながらも交渉を成し遂げた平和主義者の戦闘家がメンバーとして選ばれた。
また、量子 AI の思考を理解するには、ホモ・サピエンスとは異なる認識構造を持つ、ホモ・ヴァンピリスの船長が不可欠だった。自力では合成できない特定のタンパク質の確保のため人類を狩ったヴァンパイアは、自然界にはなかった直交座標の登場により 70万年前に絶滅したのだが、特殊能力を買われ復活していたのである。いや、ヴァンパイアの遺伝子の一部は他の隊員にも移植されていた。コールド・スリープから目覚めるには不可欠だったのだ。そしてキートンは、対象を理解しないまま全体像を把握するという統合者の能力を生かし、各隊員間の状況認識の整理を行うコミュニケーションの役目を負うことになる。
彼らを迎えた異星の巨大宇宙船は英語を話し、自らを「ロールシャッハ」と名乗った。だが、侵入の試みは、熱や放射能、電磁波といった物理的な障壁に始まり、次第に不可解な出来事によってことごとく排除され、徐々に、隊員たちのほうが精神的な影響を受け始める。アルジス・バドリスの『無頼の月』を思わせる、理解不能な構築物との不毛なセッションの趣である。
そして、意外な異星生物に相対しての、「意識」は「知性」にとって不可欠なものなのか、それともたまたま人類が獲得した形質に過ぎず、保身のために脳が見せる幻覚や、あるいは自意識に縛られないサヴァン症候群の人々が見せるひらめきが示すごとく、「枷」でありうるのではないかというスリリングな議論で、作者の筆は真骨頂に達する。
主人公の内面にも等分に筆を割き、サスペンスに満ちたアドベンチャーものとしてのしっかりしたストーリーを維持しながら、背景に織り込まれた現代的なアイデアの数々にも細心な注意が行き届いている。それも、ストロスを遥かに上回るような情報量を盛り込みながら、リーダビリティをまったく落とさない作者の力量は並のものではない。そして、久々に骨太なハードSFを読んだ充実感を感じさせるテーマの掘り込み。透徹した科学的議論が、叙事詩的な美を獲得するのは、稀有の傑作の証拠だろう。21世紀のレムの後継者、あるいはイーガンやチャンのライバルの登場といったら、いいすぎだろうか。
ナオミ・ノヴィクのサイトで、ヴィレッジブックスから出る予定の His Majesty's Dragon の第1章の日本語版のサンプルが入手できるようになってました。
けど、女王陛下じゃないにしろ、イギリスの国王に『皇帝陛下のドラゴン』て、なんかヘン。この人、His Majesty がナポレオンを指しているとでも思ってるんでしょうか。海洋ものは素人のようで、ちょっと心配ですね。それに「ジュ・ム・レンド」はないでしょう^^;
いやまあもちろんこれから推敲されるわけでしょうけど、あんまり読みたくないような訳文でした……って、最初の2ページであきらめてどうする^^;
巷ではハリポタの日ということで、ほんのちょっとそれにちなんだ話題を。
J・K・ローリングやコルネーリア・フンケを発見したことで話題の編集者が(まあフンケの場合は英語圏に広めたっていうだけだと思いますけどね)、次に期待をかけている作品というふれこみの Tunnels ですが、ペーパーバックだし、安いし、とりあえず注文したのが今日届いたんですが、これって2年前に出た自費出版本を大手が取り上げた再刊なんですよね。
そこまでは知ってたんですが、今日チェックしてみて、元のタイトルが The Highfield Mole だったことを知り、なんとなく記憶にあったので探してみたら、はは、サイン入りのハードカバー持ってました^^; なんか 500部限定ということで、2,000ドル以上してますね。いや、うちのは埃かぶってますので、もう少し値打ちあるかも^^)
中身は例によって読んでませんが、父親を追って友達と洞窟に入り込んだ少年が、なにやらとてつもない秘密に行き当たり、冒険が始まるというシリーズの第1巻のようです。まあそれほど人気が出そうな感じはしませんが、アマゾンの読者評は悪くはなさそうですね。
なんかすごい本を見つけてしまいましたよ。中身はまあどっちでもいいんですが、この趣味の悪いカバーとタイトルを見てください。誰向きの本かはもういわなくてもわかりますよね。8/2 発売ということですので、近々某京都の洋書専門店に山積みになるのは間違いないでしょう^^)
クリストファー・ブルックマイアといえば、イギリスのユーモア系のミステリ作家としては第一人者なんですが、日本ではあんまり知られてませんね。わたしもまだ1冊も読んだことないので、そろそろ試してみようかとは思うんですが、やっぱりこの本に手を出すのはさすがに恥ずかしいかも。
超能力の嘘を暴こうと奮闘する牧師が災難にあう話みたいですが、"unsinkable rubber ducks" っていうのは、ほんもののアヒルのオモチャということではなくて、超能力の存在を本心から信じている人のことを指しているみたいですね。う~ん、やっぱりラバー・ダッキーっていうのは、アブナイ人向けのものなんでしょうか^^;
marginalia を始めて今日で2周年なんですが、ちょっとドツボってます。
昔書いたデイヴィッド・ブリンの『キルン・ピープル』のレヴュウがあったんで、手を入れてそれでもポストしようかと思ったんですが、ネタバレバレバレだし、評価も微妙(つまり、それなりに取り柄はあるけれど、不満なところが多く、いまひとつ)だったんで、転用はあきらめました^^;
ま、ぼちぼち回復に向かう予定です。
ひょっとしたら趣味悪いかもとか思いながら、ジャケットに惹かれて手を出したこれが大正解。チェリー・ゴーストなんていう怪しげな名前ですが、むちゃくちゃ味のある正統派のヴォーカル主導の音です。
マンチェスターのバンドということですが、ちょっとカントリー・ブルースの風味が利いてて、味のある渋めの声がいいですね。バンドというよりは歌で聴かせるシンガー・ソングライターの趣ですが、中にはアンセミックな曲もあって、アコースティックになったり、ピアノやシンセもうまく利かせたりと、意外と幅広い音作り。
ヴォーカルもバックも含めて、決して上手いとか切れがあるとかいうんではないですが、暗くならない温かい粒揃いの曲が並んでます。初めてのフル・レングスのアルバムということですけど、ベテランといっておかしくない存在感がありますね。
まだ聴き込んでないのでどの曲が特にいいというところまで行ってないんですが、少なくとも "People Help the People" は印象的な名曲です。
MySpace を見ると、プロファイルのところにカバーの水着の少年の写真がありますので、ひょっとしてこれ、ソングライター/ヴォーカリストの Simon Aldred 本人なんでしょうか。それにしては時代がかっているような……。
げげげ、チック・リットにロマンスにファンタジイなんて書いてありますよ。パラノーマルなんて禁句も出てきます^^;
もちろんわたしはこんな本は買わないし読まないどころか、まったく興味もないんですが、なにやらスーパーヒーローやユーバーヴィラン(なんでこういうときだけドイツ語が出てくるんだ)のイクスポゼをしている女性レポーターが、フィアンセがなんとスーパーヒーローで、しかも彼女の親友と浮気をしているところを発見してしまうんだとか。ううむ、かなりむちゃくちゃな展開になりそう。
どなたか味見してみませんか。ほらほら、表紙もタイトルもバッチリきまってるし。
作者ジェニファー・エステップのこれがデビュー作のようですが、すでに続編が2冊も決まってるようですね。2作目は Hot Mama だって^^;
1ヶ月ぶりぐらいに Powells.com で注文したら、送料がどかっと上がってました。$10.00/package + 5.50/book だそうです。それじゃほとんど本代と変わらないんですけど^^;
5/14 に USPS のサービスが整理され、surface mail の扱いがなくなってしまったのが原因なんですね。ということで、貧乏人の味方だったアメリカからの船便は、5/14 をもってご臨終になりました。合唱……、じゃレクイエムだ^^; 合掌。
一般の郵便の扱いは、"First-Class Mail International" と "Priority Mail International" に統一されたようです。5日ほどで届いていた以前からの "Global Priority Mail Flat Rate Envelope" は "Priority Mail International" の一部として残り、あの封筒におさまる場合は日本への送料は $11 ということで、1冊で買う場合はこの扱いをしてくれる本屋が一番安いということになりそうです。分厚い本やまとめ買いの場合は "First-Class Mail International" 扱いとなり、かなりの出費を覚悟する必要がありますね。
ま、アマゾンとかの大手はもともと色々な手を使ってるみたいなんで、また別の話になりますが。10ドルほどで20冊ぐらいどかっと届いた昔が懐かしいです。
先週 spec fic 界を吹き荒れたゲイブ・シュイナード旋風のことはご存知だろうか。
ゲイブ・シュイナード(本人の弁によれば、家族の間ではシェイナードと発音するということだが)、多分ご存知の人はご存知の、時々登場する批評よりは、ネット一口の悪いアジテーターとして名を馳せ、その考え方よりは、spec fic への攻撃的なアプローチが、結果として全体に活力を与えた奇妙な男である。
じつはわたし自身、米英のフォーラムに参加するきっかけになったのがシュイナードだった。多分彼の表立った活動としては最初期の、SF Site に掲載されていた Dislocated Fictions に、なにか新しい動きが生まれている気配があったので、それが具体的に何なのかを知りたいというのが直接の動機だった。2001年のクレジットがあるので、今から6年前のこと。ところが、シュイナードには答えを出すことには興味はないようで、口に出すのは常に「動き」で、結局最後まで答えはもらえなかった。
だが、その後の2代(3代だったかな?)の Dead Cities のフォーラムや、ジェフ・ヴァンダーミアらを巻き込んだ Fantastic Metropolis などを通じて、わたし自身様々な作品へと視野が広がり、多くの知り合いを得て、シュイナードからの直接の影響はほとんどなかったものの、結果として多くのことを学んだ。
ところがシュイナードは、その後も一つのところに留まることなく、次々と新しい批評サイト、フォーラム、ブログを立ち上げては潰し、こちらも数年前からその動向を追うことはなくなっていた。どうも家族がらみで苦労が多いだけでなく、本人自身も落ち着かない性格だったようだ。
で、そのシュイナードの最後の仕事が、今年5月にもう一人の批評家と始めた批評サイト、Scalpel。だが、1号を発表したのみで、そのサイトは既にない。掲載する予定だったシュイナール自身によるジョン・トウェルヴ・ホークスのインタヴュウを他に転用したあと、相棒は一方的に置いてきぼりをくらったそうだ。このあたりの顛末はヴァンダーミアのブログがわかりやすい。
そして、魔の 27日。シュイナードの管理していたサイト、フォーラムはすべてネット上から消えた。この中には、数年前に『ロック・ラモーラの優雅なたくらみ』の作者スコット・リンチに譲り渡し、今は Frameshift と名を変えた Dead Cities のフォーラムも含まれていた。つまりは、ここ6年ほどの spec fic の作家や読者の議論ややり取りが、すべて消されてしまったのだ。最近は覗いていなかったとはいえ、なんともね……。
まさかとは思ったが、やはりヴァンダーミアによれば、ゲイブ・シュイナードがすべて消したということらしい。じつは数日前に自動車事故に遭い、肋骨を折って5日間入院していたそうだが、退院して早々のシュイナードの最初の仕事がこの大騒動だったのだ。
本人はもう spec fic に戻ることはないと明言しているそうなので、少なくとも今後この世界で名前を目にすることはないだろうが、なんとも困った幕引きである。最初から最後までつむじ風のままで、結局益よりも害のほうが大きかったのかもしれない。ただひとつの救いは、シュイナードがあらゆるところに残した人々のつながりである。彼の動きをきっかけとして、様々なところで、様々な動きが連鎖反応的に起こった。奇妙な仕掛人がいたものである。
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