Which One Should Win the Best Novel Hugo 2007?
さてさて、今年のヒューゴー賞の長編部門の候補作、一通り読みましたので、まとめて紹介させていただきます。まあごく単純に、今年はピーター・ワッツの Blindsight しかないということを強調したいだけなんですけどね^^)
ヴァーナー・ヴィンジ(Vernor Vinge)の Rainbows End は、いつものスペース・オペラからは離れて、現代のネットワーク・テクノロジイの延長線上にある20年後の世界を舞台にしたハイテク・スリラー。ユビキタス・コンピューティングをメインに据えた、『マイクロチップの魔術師』に通じるような現実的な近未来に終始し、シンギュラリティにまつわる議論は影を潜めているが、ストロス、ドクトロウ、シュローダーあたりの若造にはまだまだ負けないぞとでもいわんばかりに、しっかりと読ませる物語に仕上げている。
SF読者の高齢化に配慮したわけでもないのだろうが、ジョン・スカルジーの『老人と宇宙』とも呼応する、セカンド・ライフを与えられた老齢の主人公の活躍を描いた、「老人力」SFとでもいえそうな作品である。詩人としても名を成した英文学教授の主人公は、アルツハイマーの治療に成功して、息子夫婦の家に居候しながら、リハビリのために地元の高校に通う毎日。チーム作業での研究開発の能力を身に着けると同時に、衣服とコンタクトレンズを入出力にした、最新のコミュニケーション技術を使いこなせるようにすることが目的だった。
とはいえ、自尊心の塊のような主人公にとって、並みの高校生に混じっての共同作業など、侮辱にも等しい扱いだった。さらには、離縁された亡き妻への郷愁や、詩を書く能力の喪失に苛まれ、次第に問題行動を起こすようになる。唯一の救いは、彼の詩の朗読に感銘を受け、文章の書き方の教えを乞う、ひとりの高校生の存在だった。
一方、デジタル化の波に飲まれ、図書館が書物を裁断して読み取りを始めたことから、学生たちの反対運動が活発化していた。主人公は知り合いの老人たちに、裁断機を破壊するための秘密活動に狩り出されるが、それは国家間のバイオ化学兵器の開発にまつわる陰謀の隠れ蓑に過ぎなかった。主人公の身を気遣う孫娘も交えた、老人と子供たちの意外なチームワークが、この陰謀を打ち砕く姿を通して、ありうべき未来像と主人公の再生が見事に描かれている。(もう少し詳しい紹介はこちら。)
チャールズ・ストロス(Charles Stross)の Glasshouse は、《アッチェレランド》のシリーズに連なる長編とされているが、ジャンプ技術を身につけ宇宙に進出したポストヒューマン社会を描く遠未来ものという以外、特にストーリー上の関連はなく、独立して楽しめるものとなっている。
シンギュラリティという発想も、この作品に限ってはほとんど意味を持たず、展開される世界は驚くほど見慣れたもの。なにせ、遠未来のポストヒューマンが、記録の失われてしまった暗黒時代である西暦 2000年前後の人類社会をシミュレートして、そこに潜む思想を理解しようというのだ。ヴィクトリア朝から20世紀前半までは文字情報や写真・フィルムという形で十分な資料が存在するが、20世紀後半から21世紀前半は、すぐに劣化する磁気記録や互換性のない電子情報に多くを頼ったため、その大半が消えてしまったのである。
物語は、記憶の一部を消された男が、「温室」という隔離体の中で目を覚ますシーンから始まる。異星人の姿をした四本腕の女と知り合いになったのもつかの間、再び目を覚ました主人公は、20世紀再現プロジェクトの被験者として、一夫一婦制のサラリーマン社会に送り込まれ、マニュアル通りの行動を余儀なくされる。それも女性として。
以降、無意味な日常に透けて見えるプロジェクトの意図を追うことで、ミーム・ウィルスに蹂躙された過去が浮かび上がり、遠未来という設定が生きてくるわけだが、電子記録からの再生や人体改変、男女の切り替えと、ここに展開するのはなにやらジョン・ヴァーリイ的な世界。ミーム・ウィルスもジョン・バーンズからの借り物であることを考えると、多分に意識してのことだろう。とはいえ、ストロスによって新しい手触りを与えられた物語は、単なるリミックスではなく、21世紀的な存在感を持つ。
これまで海洋SFを書いてきたカナダの新鋭、ピーター・ワッツ(Peter Watts)が初めて宇宙ものに手を染めた Blindsight は、「意識」と「知性」の関係に深く切り込んだ意欲作。21世紀末、カイパー・ベルトの近辺に異変を認めた人類は、AIにコントロールされた宇宙船を調査に送り込む。乗り組むのは、多言語を扱うために四重人格化された言語学者、体の大部分を機械化した生物学者、部下を見殺しにし平和交渉を成し遂げた武官、そして、太古の遺伝子から再生したヴァンパイアの指揮官という個性的な面々である。いや、ヴァンパイアの遺伝子の一部は、他の隊員にも組み込まれていた。冷凍睡眠から目覚めるには不可欠だったのである。
子供時代にてんかん治療のための脳半球切除手術を受け、人間らしい感情を失う代わりに、対象を理解しないまま全体像を把握できるという能力を得た主人公は、特殊な思考形態のヴァンパイアやAIと、隊員との間の通訳を受け持った。彼らを迎えた異星の巨大宇宙船は、英語を話し、自らをロールシャッハと名乗った。だが、侵入の試みはことごとく不可解な方法で排除される。
アルジス・バドリスの『無頼の月』を思わせる、理解不能の構築物とのセッションを描きながら、作者は主人公の内面にも等分に筆を割き、様々なアイデアをまな板に載せ、知性と認識に対する思弁を繰り広げる。ヴァンパイアの登場はまあご愛嬌だが、十字架に弱い理由なども生物学的に説明されていて、テーマと絡めるあたりもお見事といえよう。地味ながら感動的な結末も含めて、ストロスを遥かに上回るような情報量を盛り込みながら、リーダビリティを落とさない作者の力量は一級品で、ハードSFにおける21世紀最初の古典の登場といっても過言ではないだろう。作者のサイトでは全文が公開されているので、是非ともという方は原文にトライしていただきたい。(もう少し詳しい紹介はこちら。)
マイクル・フリン(Michael Flynn)の Eifelheim は、もし中世に異星人が地球を訪れていたとしたら、一体どういう状況が起こっていただろうかという一風変わったファースト・コンタクトの物語。迷信深い人々は異形の姿に悪魔を見、パニックを経て悲劇的な結末に向かったのであろうか。じつはフリンには20年前に同名のノヴェラがあり、現代の歴史学者が、ドイツのシュヴァルツヴァルトにあった小さな町が地図から消えてしまったいきさつを調査するうちに、異星人との接触の痕跡を発見するというプロットだなのだが、今回の長編ではこの部分が枠物語としてそのまま使用され、実際に中世に起きた出来事が、当時の人々の視点で語られるメイン・ストーリーの部分が新たに書き起こされている。
領主の信頼も厚い町のまとめ役は司祭のディートリッヒ。ところがこの司祭、盲信的な宗教者とは程遠い、若い頃にはパリでビュリダンに師事し、ウィリアムのオッカムらとも親交があるという当時の最先端の知識人でもあった。人間大のバッタのような姿の異星人に、最初こそは驚愕しながらも、やむなく不時着した彼らを助けるうちに、翻訳機の助けを借りながら、次第に科学論・神学論が展開していく。この中世的世界観で語られる現代科学の理論や、神学の本質を理解していく異星人の姿の部分が、この作品の読みどころだろうか。
一方、ユダヤ人の排斥に端を発して周囲は騒乱を極め、ペストの蔓延が町を襲い、異星人も次第に町の痛みを分かつことを余儀なくされていく。当時の文体を模したフリンの文章は、馴染みのない言葉が頻出する以上に、圧倒的な情報量で中世の状況を積み重ねていくため、なんとも読みにくい。だが、その描写から立ち現われれてくるのは、決して頑迷な暗黒時代なんかではなかった、ごく人間的な中世の姿である。(もう少し詳しい紹介はこちら。)
竜の登場するナポレオン戦争ものの3部作を、3ヶ月続けて刊行するという華々しいデビューで話題をさらったナオミ・ノヴィク(Naomi Novik)の His Majesty's Dragon(英題は Temeraire)は、ひょんなことから竜の卵の孵化に立ち会ってしまったイギリス海軍のエリート船長ローレンスの物語の開幕編。最初に餌付けをした人間と絆を結ぶ竜の習性は、ローレンスの空軍への配属替えを余儀なくする。規律の厳しい海軍に比べ、まともな家庭も持てず、竜と寝起きを共にする曲者揃いの空軍への移動は本意ではなかった。
とはいえ、有名な戦艦の名前にちなんでテメレアと名付けられた竜の成長は、意外にもローレンスに喜びをもたらした。金の鎖をもらってはしゃいだり、本を読んでもらって見識を深めたりと、最初は無邪気な子供として、次第になんでも話せる親友として、そしてついには命を預けられる戦友として、パートナーの絆は深まっていく。また、上下関係も緩く、風紀が乱れていると映った空軍も、気心が知れてくるにつれてローレンスの気質になじんでいった。絶対的な制空力を誇るナポレオン軍のドーヴァー海峡横断が懸念される中、テメレアを含む若い竜の訓練が急がれた。
組織の中で壁にぶつかりながらも辛抱強く自分の意思を通していくローレンスの小気味よさや、成長すると体長10メートル、翼長30メートルにもなる竜に乗り込んでの空中戦、はたまた相手の竜に乗り移っての肉弾戦は、海洋冒険ものの王道をそのまま借りてきたといえるだろう。そして、船でありながら戦友である竜との、時にコミカルで時にホロっとさせられる展開はファンタジイならではのもの。パトリック・オブライアンの海洋ものや、アン・マキャフリイのパーンの竜騎士のファンでなくても、よくできた冒険ものを期待する読者にはうってつけの、娯楽ものとしては文句なしの出来の作品となっている。(感想はこちら。)
さて、それではどの作品がヒューゴー賞にふさわしいかといえば、ファンタジイ・ファンの票を集めてノヴィクの His Majesty's Dragon に決まってしまいそうな懸念が多分にありますが、正直よく書けているというだけで、この作品にはこれといったインパクトが全然ないんですよね。わくわくしないというか、カリスマがないというか。同様に、Rainbows End と Glasshouse についても、ヴィンジやストロスのベストとは言いがたいし、期待以上のものはありませんでした。
一方、フリンの Eifelheim は、相当手間をかけて書かれた力作であるし、稀に見る感動作でもあります。例年であればこの作品をベストとしてもいいんではないでしょうか。とはいえ、昨年は何年かに一度現われるかどうかのハードSFの傑作、ワッツの Blindsight がありましたので、まともに読んだ人であればもう疑問の余地はないでしょう。ほんと、受賞して欲しいですね。
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Comments
そんな話じゃないぞ~とか、こっちのほうが面白いという反論も歓迎です。てか、そのほうが面白い(笑)
Posted by: a nanny mouse | Monday, June 11, 2007 20:34
わ~い、バトル楽しみ~。
個人的には Eifelheim が好みの予感。読んでみようかな。
Posted by: Lilith | Monday, June 11, 2007 21:35
Eifelheim は bumpkin さんの太鼓判付きですよ。むちゃくちゃ読みにくいですが。
Posted by: a nanny mouse | Wednesday, June 13, 2007 21:05
個人的に語彙力不足でコケまくった以外は、そんなに読みにくいと思わなかったんですけど…。異星人もさることながら、司祭であるにもかかわらず、公正に異端の存在を理解しようとするディートリヒの姿がまたいいんですよ~。
Blindsight がどんなにすごいSFでも、読者の心にずっと残って個々人のオールタイム・ベストになる確立が高いのは、Eifelheim のほうだと信じてます。←受賞は逃すという前提で、作品を弁護しているようでは、バトルになりませんが^^;
Posted by: bumpkin | Thursday, June 14, 2007 00:11
「読者の心にずっと残って」で発作的に注文してしまいました。中世の教会用語は~~~泣くかも。
Posted by: Lilith | Thursday, June 14, 2007 21:41
ううむ、読みにくさをうんぬんするのは本意ではないです。けど、普通なら1日で十分読める程度の長さなのに、3日ぐらい格闘していたような記憶が^^;
Posted by: a nanny mouse | Thursday, June 14, 2007 22:49
わ~い^^)
そんな私じゃあるまいし、Lilith さんが単語で泣くようなレベルではありません。あとはおめがねにかなうかどうか、ですね。ドキドキ。
でもって a nanny mouse さん、あれはゆったりと細部を味わいながら、ともに時間を重ねる感覚が良いので、間違っても長さで計って即日読了、なんて味気ないことを考えてはいけません~。
Posted by: bumpkin | Thursday, June 14, 2007 23:07