Parable of the Talents, by Octavia E. Butler
バトラーの1998年のネビュラ賞受賞作を紹介しておきましょう。
日本での紹介は長編一作に数編の短編と、評価の割にまだまだこれからだが、80年代以降つねに話題作を提供してきたオクテイヴィア・E・バトラーが、代表作となるシリーズを書き継いでいる。
ネビュラ賞の候補になった前作の『種蒔く人の寓話』Parable of the Sower (1993) は、黒人牧師の娘として生まれた思春期の少女ローレン・オラミナの日記の形で、殺伐とした近未来のカリフォルニアでの主人公の受難と、独自の信仰「アースシード」の形成を語る。
経済の疲弊が進み、アメリカは暴力、貧困、人種間の対立が支配する無法地帯と化していた。だが、母親が妊娠時に服用した薬品の影響で、他人の痛みを自分の痛みとして感じる擬似エンパスに生まれついたローレンは、未来への希望と他者への共感、自己実現を核とした信仰を育む。その教義は「神は変化」であり、目指すところは「星々に地の種を広げ、繁栄すること」であった。
暴徒の襲撃で家族と家を失ったローレンは、一握りの隣人とともに、全土を覆う混乱の中放浪の旅を余儀なくされる。信仰を拠りどころに、同様の境遇の放浪者を加えつつ、一行が荒野に一戸を構える医師と出会い、「どんぐり」という共同体を形成するところで前作は終わる。
『タラントの寓話』Parable of the Talents (1998) には、年配の医師の妻、そして母となったローレンが登場する。小さな共同体が徐々に規模を増すにつれて、暗い影もその濃さを増した。死んだはずの弟に奴隷市で再会したのもつかのま、ローレンの信仰になじめない弟は共同体を去る。右傾化が進み、厳格な規律に活路を求めたアメリカは、ついには狂信的キリスト教原理主義者を大統領に抱いた。
排他的理想主義にとって「どんぐり」は恰好の攻撃の的だった。原理主義者の私設軍の襲撃で、数人の仲間と夫を失ったローレンを迎えたのは、再教育という名の監禁と拷問。子供を引き離し、電気ショックで律し、原理主義者の蹂躙は次第にエスカレートする。「どんぐり」は人間の弱さと強さをあらわにする強制収容所と化した。
あるきっかけで反撃に転じ、圧政のくびきを逃れたローレンだが、以前の共同体は跡形もない。奪われた子供を追って野に出たローレンは、原理主義者の中に居場所を見出した弟に遭遇し、娘探しを懇請する。だが、決して悪意はないが相容れぬ弟は協力を拒む。失意のローレンは、各地を巡るうち、人々に「アースシード」を説くことに自分の本分を見出す。原理主義者の勢力の衰退のなか、素朴に希望を模索する教義は、徐々に人々の中に浸透していった。
『タラントの寓話』は、ローレンの手記と、それを編纂した娘のラーキンのコメントで構成されている。厳格な原理主義者の養父母に育てられ、後に叔父に親近感を抱くようになったラーキンは、母の業績を認めつつも、最後まである種の反発を抱きつづける。これは娘が母を理解しようと逡巡するプロセスの物語でもあったのだ。
バトラーが近未来に仮託して語る物語は、寓話とは名ばかりで、その主張は実にストレートである。弱者が虐げられてきた過去に対する悲憤と、精神的にはそう変化のない現在に対する強い批判がそのまま提示されている。デビュー当初からの立脚点が、黒人女性というSF作家としてはまれな背景にあるため、黒人や女性の解放の歴史との呼応を色濃く感じるが、結果はより一般化されたヴィジョンとなっている。
とはいえ、一方的な主張に少々辟易すると同時に、居心地の悪さを感じてしまうのも事実だ。変化・協調を体現する女性の主人公に対し、権威・体制維持を支持する男性陣を配しているのは、いささか図式的に過ぎる感がある。また、近年の実社会での経験から、カルトの形成のイメージに素直に承服できないこちら側の事情もある。ただ、そんなあたりを、作者は主人公の娘を語り手に設定して、第三の視点を対峙させることで和らげているようでもある。あるいは、この視点を続編の形で発展させることを作者は意図しているのだろうか。
まれに見るパワフルな作品である。好きになる必要はないのかもしれない。(2000/11/9)

Comments
翻訳が出ている『キンドレッド―きずなの招喚』っていうのも、よさそうです。でも結構重そうかも……。
Posted by: Lilith | Monday, September 26, 2005 at 22:17
『キンドレット』は読んでないですけど、う~ん、なんていったらいいんですかね、たしかにつねに根っ子に重いもののある作家ですね。
Posted by: a nanny mouse | Tuesday, September 27, 2005 at 23:19