Bold As Love, by Gwyneth Jones
ロックが世界を変えると多くの若者が信じていた時代があった。ミュージシャンは英雄であり、神であった。その言動が、たんなる気まぐれやドラッグの幻覚に根ざすものであっても、人々はそれを支持した。ギネス・ジョーンズが、ドラゴンやエルフといったナンセンスを廃して、現実的なファンタジイを書こうと構想を練ったとき、ロック以上にふさわしい題材は考えられなかったという。そう、これは、かつての幻想が生き残っている世界で、ロック・ミュージシャンが国を率いる物語なのである。
1986年、議会はイギリスの解体を決議し、連合王国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つの国に分裂した。この混乱を乗り切るため、時の政府は、大衆への多大な影響力を持つロック・ミュージシャンを集め、政治を補佐するシンクタンクを組織する。だが、次第にこのカウンターカルチャー集団が勢力を増し、そのうちの一人ピグスタイ・リヴァーが、流血の内部抗争の末、主導権を握るころには、実質的な権力はミュージシャンたちの手に移っていた。
この有象無象の集団の中に、主人公となる三人の男女がいた。カリスマティックなギタリスト、アックス、前衛的なテクノ・アーティストのセイジ、気まぐれなティーンエージャーの歌姫フィオである。セッションを通じて気心が知れるにつれ、アックスと愛人のフィオ、ガーディアンとしてのセイジという三角関係が形成されていく。同時に、集団の核としての三人の立場も明確になっていった。これを決定づけたのは、イスラム教徒たちの反乱の危機を、交渉にあたったアックスが、自らイスラム教徒に改宗するという思い切った手段によって、平和裏に切り抜けたことだった。
一方、混迷を極める周囲の状況は、次から次へとこの新興政府に難題をつきつける。ピグスタイの幼児虐待がらみのスキャンダルという集団内部からの試練に、新種のウィルスによるインターネットの分断で深まるイングランドの孤立。隣国ウェールズの破壊工作や暗殺の企てもしのがなければならない。フィオたち三人は、乏しい経験となけなしの知恵をフルに絞って、今にも崩壊し、中世の暗黒時代に逆戻りしそうな母国の舵取りを試みる。大陸から大挙して押し寄せるボート・ピープルの前で、混乱を静めようとコンサートに臨むフィオの勇姿には、いつしか、かつてのエリザベス一世の面影が重なる。
そう、この物語は、現在のイギリスの混迷を比喩的に描きながら、大英帝国の背負ってきた歴史と誇りを、もう一度辿り直そうという試みなのである。同時に、ここにはイギリスとは切っても切れない伝説の二重露出がある。主役の三人の関係には、象徴的にアーサーとグィネヴィアとランスロットの姿が重ね合わせられているのだ。
こうしてみると、諸侯をまとめようと遠征に明け暮れる英雄を想起させる三人のコンサート・ツアーは、イギリス再生への意志の象徴にほかならない。作者は伝説の援用をもう一歩進めて、フィオには魔法の能力の萌芽を与え、アックスには先史時代の石斧を用意し、最終的には五部作になるという続巻への布石としている。
さて、まれに見る重層的な力作であるが、やはり、イギリス人でなければ完全には味わい尽くせないのではないかという印象がつきまとう。背景に溶け込んだハイテクと、政治色の濃い社会の描写に、英国史の一場面のような出来事の数々、アーサー王伝説の自由な書き換えと、素材のレベルでは門外漢でも十分楽しめるが、細部に織り込まれた象徴が、すべて読み取れるとはいいがたいのだ。現時点ではアメリカ版が出版されていないところを見ても、イギリスという背景から切り離しては成り立ちにくい小説であるといえるだろう。
また、肝心のロック小説という側面からみても、作者の描写から音が聞こえてこないという苛立ちが募る。ジミ・ヘンドリクスゆかりのタイトルを持ちながらも、ここにはパワフルなロックの音響はない。ローディーとしてコンサート・ツアーに付き添って、退屈なミュージシャンの日常ばかりを見せられたような印象なのだ。
とはいえ、この思いもかけない要素の重ねあわせが、ファンタジイとして、小説として、みごとに結実していることは事実で、その点だけをとっても、奇跡というべきなのかもしれない。作者のセッションはまだ第一部が終わったばかりなのだし。(2002/07/09)


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